ハラミちゃんの生配信で「駅」が流れた。この曲は思い出深い。深夜の職員室で仕事をしている時、バドミントン部の保護者から連絡。「先生、今、カラオケしてるから来て!」「、しかたがねぇな、これから学校、戸締りして行くよ」行くと、野球部の顧問も笑っておかあちゃんたちと話してる。来て早々に次々に曲が入れられる、ジャンルも年代もあったもんじゃない。「先生、歌うよ!」本当に鍛えられる。その中で「先生、『駅』歌って、」その時に、その客は知らなかった。とても素敵なメロディが流れていく。竹内まりあの曲なんだ…。歌いなぁ。。あの頃の自分は深夜まで仕事が溜まって一人で仕事していることが多かった。昼間は生徒たちと追いかけって。カップラーメンを食べて仕事をしていた。

カップラーメンの。「3分」をストップウォッチで測っていて、理科の女性の先生から笑われていた。

一人一人帰って行ってひとりで仕事をし続けているひびだった。おかあちゃんたちはそんな私を見かねて引っ張り出してくれたのだろう。 

試合の時、お弁当を持ってきてくれる。そこで「先生!何よ、今のオーダー。ちゃんと考えてるの?」と口を出してくる。毎年、区大会、一回戦負けの学校から県大会出場へ。卒業式後のお別れのカラオケで尾瀬合宿の時、Aチームの練習にかかりきりなっている私に真剣に抗議してきたおかあちゃん。「先生、もうこういうAチーム、Bチームを分けるようなまねしないで」何度も繰り返していた。おかあちゃんは真剣だった。仕方なかった。嫌、そのおかあちゃんには仕方のないことではないことだった。その抗議したおかあちゃんの娘は夏の大会。コートにたつことはなかった。だけど、笑顔でベンチで応援していた。

そんなおかあちゃんたちに支えら、励まされ続けた。「駅」を聴くとそんな1年間を思い出す。県大会へ行けたよろこびと、真剣に怒られた思い出が思い出が同じくらい強く残っている。

誤字・脱字・変換ミス….あなたの文は日本語になってない

私がblogを更新したり、facebookに投稿するたびにこのようにメッセンジャーを送っていただく方がいます。その度に「ありがとうございます」と返信していた。しかし、昨日、「重箱の隅をつつく…」と返してしまった。すると長文の返事を頂いた。

私もその方の言われることはまったくの「正論」だと思う。そして、ホームページの公開を前にして、より厳しく見ていただいていることは私に痛く通じている。ホームページはもっと広い範囲で見てもらうことになる。文章一つで私の人間性が測られてしまう念には念を入れて作ることだ。と叱咤していただいて、自分の目だけでは漏れが生じるので、関わり合いの深い方に文章を送って点検してもらっているが、「金剛地さん、1ページ目だけで間違えが13箇所、間違いがありましなよ」と、客観的に見てもらってこういう状態です。本当に不器用極まりない。私には絶対、この部分をカバー出来る人材抜きに一人前にならない。

しかし、こういう言葉が「孫子」にある「拙速は巧遅にしかず」また、「チャンスの神は前髪しかない」。これが私の信条なのだ。常に「機」を感じると動いてしまう。私にはこの後「機」が見える。そうなると、どうにも止まらない。このblogもfacebookも瞬間技である。それだけに欠点から離れられない。

しかし、今回のホームページを立ち上がるのは私の中に「機」を感じている。逃したくない。しかし、ホームページ作りはblogやfacebookのような「瞬発力」より「正確性」が求められる。一般に公開していくというのはそういうことだ。

浜中でまがりなりにできたのは吉田英輝との出会いである。私の頭の中で次々と構想が浮かんでいる。その一方、昨日はセンター北のアカデミアの地形図コーナーで2時間、座り込んで地形図を選んだ。なかなか納得できる地形図に出会えない。国土地理院のサイトを見て、選んでしまえはそれだけのことなこだが、こういう等高線の歪みがほしい…。こんな

土地利用の変化が表されている。など何度も地形図を見直す。店員さんもお客さんも呆れる作業に夢中になっている。そういうところは変に手が抜けないのである。

何か変なものが自分の中に同居している。アドバイスし続けてくれる先生は「熱意」と表現してくれた。

こんな私のblogやfacebookの読者は「裸の王様」だと言われた。誰かが指摘しないと、本当にそうなってしまう。ダメなな時ダメと言ってもらいたい。

コンビニより多い!

本当に日本人の歴史の偏見は何から来ているのだろう。。あの一億円騒ぎな時、日本各地に天守閣が立ってしまった。「城」🟰「天守閣」の固定観念はいつからは、がはじまってしまったのだろう?実はコンビニよりも城跡の方が多いのです。そのほとんどは土の城です。特にこの関東地方は関東ローム層を利用した城は見た目には単なる小さな盛り上がりにしか見えないのですが、実際に訪れると、とにかく足元がツルツルしてきをつけなければいけはい。まして雨の日は難渋したものと思います。あの"軍神"上杉謙信が一敗地にまみれ、その後の関東侵攻に歯止めがかかっていくきっかけとなった佐原城を訪ねると、なぜ上杉謙信をしてこの城を堕とせなかったか考えると「信じられない」。「土の城」恐るべしです。

お城巡りをされている方から「お城は1000城、登城しなければ、お城を理解することにならない」と言われました。実際にその方は1000城を登城された実績の上です。私たちとは重みが違います。落語家の春風亭昇太さんも、

坂本龍馬像の下で集合!

寺尾中の中で保先生や沼さんが中心になっていろいろと出かけました。なぜか出かける方面、宿の手配などいつの間に私の仕事になっていました。わたしももう浜中へ転任した後でも、「ブラジル!」と声がかかると中華街にある喫茶店「ブラジル」へ集合しました。そこでバナナジュースを飲みながらみんなが集まるのをまちます。揃ったところで「揚州飯店」へ移動して、今回の旅行の説明しますが、本当にこの人たちは聞いてくれているのか、心配でした。私もあるていと、部活が忙しくなってきて、横浜から一緒に車に乗って行く時間がなくなり、とうとう出したアイデア高知県桂浜の坂本龍馬像の下で○時といういい加減な集まり方をしました。多少、時間の行き違いはありましたが、なんとか集まりました。そして、宿へ言って皿鉢料理で盛り上がりました。翌朝、自由民権資料館を見学した後、一気に四万十川を河川沿いの道を上がります。アイスクリン売りのおばあちゃんが田んぼの真ん中にいて、これで商売なるのかな、など、余計な心配してました。途中で一休みして、水切りをしたり、打製石器作りしたり勝手なことをして、じゃあいこうか、ということで四国カルストを越えて松山県側へ入ると道が真っ直ぐ整備されていてそのまま伊予松山に到着です。こうなれば道後温泉しかないでしょう。お湯に浸かって体を休めて涼しい風に吹かれてやどへかえりやした。翌朝、私は朝の一便で横浜に戻り、そのまま体育館へ直行しました。

だいたい私に企画をさせるとどういう目にあうか、例えばまだ復元していなかった福井県一乗谷宮城県多賀城へ案内します。「なにもないじやないか!」言われても「そのうちに出てくる!」という調子です。たぶんもう一度訪れると見事な復元模型が見られます。しょうもない企画者でした。後から加わったメンバーの蠟山さんも天童市内を無線機を持って歩いて実況してくれました。ちょうど私が無線の免許を持っていて無線機を何台か持っていっていたので無線で連絡をとって移動しました。

出雲地方に行っても出雲大社はほぼ無視して島根半島をを走っていくと「密航者に注意!」という看板があり、記念写真を取りました。また、宍道湖と中海の間を仕切る中海水門が話題になっているのでわ見てみよう。と車を降りた歩いて行くと不審者扱いされました。山陽道から中国山地をぶち抜くのは割と距離もあるし、道もくねくねしてます。途中の湯浅温泉は川床にわらの小屋の中には温泉が沸いています。中に入るとおばあちゃんから「前を洗って入るんだよ」と注意されます。

中国山地をぶち抜いて米子に出るとすぐ、床屋に行くと言い出してもみんな、ニコニコ許してしまう。「それじゃ、2時間、自由行動!」という調子です。ただしこれは後で裏があることにきがつかされました。ストリップ小屋でおばさんの白粉で真っ白になって宿舎に戻って笑い合ったり、今、思い出すと本当によくまあやってきたなと思います。

最近になると誰か「ブラジル!」と声をかけて欲しいなァと懐かしく思い出します。

準備勉強

新しい企画の前に少し準備勉強をしておなければ、都筑図書館です参考図書を漁ってきたした。

読図の基本がわかる本

体のつくり方

防ごう!治そう!振替スポーツのケガ

女性アスリートの教科書

バドミントンの教本ジュニア

スポーツ現場における暑さ対策

12歳までの最強トレーニン

食べて強くなる!サッカーの栄養と食事

マルチスポーツを科学する

子どもを壊す部活トレ

以上

もしこの他にいい参考文献があれば教えて下さい。、

 

新しい企画

都田地区センターを拠点にした企画を進めています。バドミントンについてはもうしばらく周りを固めたいと思います。神奈川県バドミントン協会会長とは毎週会っているので焦らないでいけそうです。社会科の地形図の読図に特化した研究会から始めます。まず社会科嫌い、暗記教科という殻を破らなければいけないと思います。社会科研究会や大学や教科書会社を巻き込んで、若い先生や先生を目指している人たちを大正として地味に地図に色塗り作業を

してもらおうと思います。

私が新任の頃は私と同期の理科の先生といつも同じ高いを前に議論を戦わせていました。教科を超えて、同じ地形図を相手にしてこれだけ見解が違うことを勉強していました。その時の山のようになっていった土地利用図が私の教科の成長の証です。

最初に採用された時は音楽科。そして特殊学級と回り道しながら力を蓄えていました。日本史しかわからない社会科教師からずいぶん成長してデビューできました。

モシいきなり社会科から始まっていたとしたら、こんな視野はきっと身についていなかったと思います。そういう意味で、ぜひ2時間地形図と睨めっこしてほしいと思います。きっと隠れた力になります。

ブラタモリ」が終わってしまってとても残念です。TVで見ていてタモリさんが足元にある石をしっかりわかっていることです若いアナウンサーたちはいつもタモリさんの知識に次々と驚いている光景が何度も何度も繰り返される。あゝ、この展開。

タモリさんは最低限な地学の知識に基づいて話しています。地学の時間にどういう📖態度であったかがわかります。私の地学の先生は脱線が多かった。リレーのメンバーは何で決める?足首を触って決めるんだ(笑)。東山聞き流してしまいそうだがポイントはしっかり押さえている先生でした。大学に入って一般教養で自然地理学をやるときも基礎的な確かができていたので理解は深くなった。地形図を見て、土の中まで見えてしまう。不思議なことができます。実際に歩いて土地利用を確認できれば、納得してしまう。地学的にいうと日本の土壌は世界の中で下から二つまでぐらいのランク。ちなみに最高ランクの一つがチェルノーゼム。まさにウクライナ戦争の看板です。だからロシアはこの土壌か欲しいのです。ウクライナ戦争の裏に地質ありです。たかが地学の時間という勿れ。このような最高ランクの土壌は地球上の半の限られた所しか分布していません。

日本人はこうした土壌と付き合いながら農協を営んでいます。よく大規模化農業について語る方もいますが、地面の下まで見えてない「開発」が行われてきてる。開発担当者はどれだけ地下まで把握できているのだろう。こうしたしぜんちりてきな知識と人文的地理学と結びついてさらに歴史地理学へ発展する。若い先生たちには教科を超えてクロスオーバーすることで視野の広い教育につながります。高等学校で感じたのはこうした視野の広い教師よりも専門分野しかわからないむしろセクトカした教師たちでした。これでは全人格的な教育は難しいと思います。時に中学校の社会科教員達は、すべての分野へ目を通せないといけないのです。だから中学生になった最初の授業に備えて地道な訓練をしたいとおもいます。