義母が亡くなって、義母の家具や荷物、書類などを遺品整理の業者に委託することにした。妻は「まだ、そんなことしたくない」「そうやって先延ばしにすると・・・」「ゴミ屋敷にしてやる」と開き直ります。ほとんど話にならないので、その場を離れました。今晩は家族会議をして決めたいと思います。病気を発症して以来、一向に前向きになってもらえなくて苦しいです。主治医の話では病気は治っている。あとは本人がどう一歩を踏み出すかだ。と、2年以上言われ続けてきてる。主治医からは3分間の投薬療法だけである。週に1回の訪問看護や生活支援センターからの支援があって、やっと介護認定が出て半日の介護サービスも始まった。しかし、この意固地になっている気持ちをどうすればいいか、本当にわからない。告別式の日に自分の妹との会話はスムーズにできているようにみえるが、うまく猫をかぶっている状態である。妻が席を話した時に義妹にどう思うか聞いてみた。同じ認識であった。生活支援センターからは一歩、一歩と励まされてはいるが、毎日の生活ともなれば些細なことでも棘のように刺さっていく。家族全体が相当の忍耐力が必要だ。発症した年齢から見ても治りにくいところに、妻の性格が重なっている。カウンセリングを受けようにも料金が高すぎる。むしろ妻がお金が無くなると、大騒ぎになる。今、精神科医のドラマをやっている。患者と真正面から相対して話を受け止めてくれている医師はいないだろうか。話は大きくなるが、日本には精神科の病院が少なすぎる。その割に自殺率の高い国である。私も長年お世話になってきた主治医が定年退職するにあたって、不安を持っている。先日、血圧が上がり続けていた時期、心因的なものではないかと主治医のもとを訪ねたが、たまたま不在で別の医師が出てきた。その医師はただひたすら血圧にこだわり降圧剤を処方されて帰されてしまった。次回からそういう医師に当たってしまったら、どうしようか不安である。一つには医師に余裕がない。医師が一日にこなさなければいけない患者数が多すぎる。3分間診療が当たり前である。そして診療費は高い。敷居が高くなるばかりである。精神科への偏見が強く、ハードルが高く見える。手軽に心療内科ならあまり気にしなくていいと通う患者が多い。本当にそれでいいのだろうか。私の場合は自ら精神科へ駆け込んだ。それだけ切羽詰まった状況だったから割り切ることができた。アメリカなどでは精神科のクリニックが多く、実に些細なことでも精神科に通っている。その分、自殺率は低い。あなたはどちらの国を選びますか。
若紫
源氏物語の中で好きな段です。光源氏が馬で外に出ているとそれほど身分の高い貴族ではないが庭で小鳥を追いかけているまだおかっぱの美しい姫を見かけました。光源氏は事情を話してその美しい姫を自分の屋敷でいつくしんで育てていきます。その姫はいろいろな変遷をへて三条殿(光源氏の屋敷)で光源氏の正妻であり、女主人となります。
自分好みの妻を育て上げた話でとてもうらやましいお話です。古典の時間、文法よりもそういう話の方が好きでした。
恋は駆け引きがあってこそです。押したり引いたり、ふと相手の本音に触れるとたまらなくなります。かつて江戸時代の花魁とお大尽の駆け引きがさんざまな資料に残っていてとても面白いです。面白がっているのはまわりだけ、本人たちは実に真剣な駆け引きを繰り広げているのです。だから「源氏物語」は不滅なのです。そこにはいろいろな生めかしい感情が渦いています。現在ではさまざまな恋の形が認められています。
我が家の場合もある程度奔放に育った私と厳格な両親のもとで育った妻といろいろ感じ方が違います。例えばまだ結婚前にこれから妻になる女性がやっていくれば、私の母は知らんぷりでした。ところが新婚旅行から帰ってきて旅行中の写真の中に妻のランジェリー姿が映っている一枚でこんこんとお説教をされました。二世帯住宅になってからは妻は下の両親に遠慮ばかりでした。「よく私が生まれたね。」と娘が言います。「一発必中!」と言って笑います。
せっかく育てていこうとしら「若紫」はそのまま手つかずになりました。一方で何曜日は何色のタオルを使うでしょとチェックされます。
「若紫」を育てたいのは男性の理想でしょう。この年齢になるとむしろそういうことが楽しみです。磨きあげたい夢があります。でも「若紫」はどこにでもいるものではありません。意外なところで見出すものです。「若紫」を育て上げたい。
光源氏のズルいのは若紫を育てつつ次々と女性遍歴をしていることですね。その女性遍歴の面白さ、光る源氏の女性観が新しい女性と出会う度に広がっていきます。
そんな感覚で古典を読んでいて、文法などはどこかへ飛んで行ってしまっても結構楽しめます。
秋の女王
自然教室に向けて生徒と自然のふれあいの手法を身につけたいとネイチャーゲームの講習会に参加したのは35年前、場所はこどもの国でした。夕方、バンガローに集合しました。カードが渡されて植物に因んだ自己紹介をして回ります。そして軽くゲームをして寝室で休みます。翌朝は朝早くから起きてさまざまなげーむにとりくみます。基本的に二人一組でゲームをつづけていきます。私は女子大生とコンビを組んでゲームに参加しました。次第にお互い打ち解けていきました。3日目、今日が最終日です。目隠しして木に案内して木を触っていろいろな特徴を観察して元の位置へ戻ります。目隠しをとって木を触りながら「自分の木を探す」交代して行います。基本的に言葉によるコミニュケーションはとらずお互いの表情から理解し合う手法でした。
帰りに可愛い花があったので花を摘んでプレゼントしようとしたら、その女子大生は手を口元に持ってきてしーっというポーズをとるのてやめました。すべてそれをわかりあうことができるまで成長した3日間でした。
ちなみにこの時に学んだ技法の一つは自然教室でクラス全員を輪になって座って合図とともに寝転がります。空を感じさせました。自然教室の写真集の表紙の裏にはこの時の生徒が順々と寝ていく様子が出ていました。その後。私はバドミントンの大会で同じく体育館に寝転がらせて体育館の空気の流れを読み取るように指導をしました。
今は秋です。「秋の女王」はご存知ですか?我が家にはこの「秋の女王」がたくさん糸を張り巡らしています。女郎蜘蛛です。見事なまでの糸の文様は女王にふさわしい風格があります。その風情がわからない人にどこまで説明していいものやら。箒で払われてしまいますが、少し秋の風情をたのしんで欲しいものです。
精神科病棟の暮らし
私が自殺未遂を起こした後、自分で病院へ相談してベッドの空きが出たところで入院しました。携帯はもちろんズボンのベルトも預けます。あとは病棟用のパジャマで過ごします。ちょうど窓際の部屋でした。空が次第に赤くなっていくのがやけに長かったです。最初は食堂でもポツンとしていました。話を始めるきっかけは暴力的な方が入ってきて病棟内で怯える人たちがいました。その暴力的な方が女性の部屋に近づくところで一睨みして制している間に病棟の医師たちが駆けつけてくれました。
そこから声をかけられるようになりました。多少相手の方が体格がよくても度胸は負けません。それだけの修羅場はくぐってきたつもりです。
そしてその暴力的な方が落ち着いてくるとやたらオセロで挑戦を始めて次々と勝っていました。そのうちに私にも挑戦してきました。それなりに強いので負けました。そして声をかけました。「もう一戦やりませんか」今度は相手の手筋を読んでコテンパンにしました。「一勝一敗になりましたね」と声をかけると「もう一戦」というので、またコテンパンにして「今日はこのくらいにしましょう」と寝室へ戻りました。この暴力的だった方は誰かと話したかったのでした。それがうまくできなかったのがオセロを通して話し相手ができました。その日以降、その方は私に挑戦してきます。一回目は私が負けます。そして2回目、3回目は私が勝ちます。そのパターンですが毎日オセロをやりにきました。
病棟内では運動不足になります。病棟は真四角になっていて廊下をぐるぐる回るのが病棟内の人たちに日課でした。その中でものすごいスピードで回っている女性がいました。私も負けずについていきました。そこから会話が始まりました。もう1年間も病棟の中にいるそうでした。病名は聞きませんでしたが、とても素直な女性でした。ところが「オセロをやろうか」となりました。私はいつものように角を取らせているようで中を固めてしまう戦法に出ました。ところが終わってみると私の連敗です。悔しいけれど笑顔で楽しめました。
週に1回、病棟の中に買い物ワゴンがやってきます。それが病棟の一番の楽しみでワゴンの来る日は早くから並びます。私も多少の手持ち金を持ち込んでいたので毎週、新聞とテレホンカードを買っていました。病棟から「外界」へ連絡するのは病棟内のたった2台の公衆電話でした。私も家族へ連絡をとっていました。フリースペースでテレビがついていますが、朝食後の「韓流ドラマ」が人気でした。そこで新聞が必需品でした。世の中から隔絶させてしまう。と思っていました。
毎日の食事も楽しみでした。それぞれの病状に合わせたメニューなので管理栄養士さんや厨房スタッフさんも毎食大変だと思います。食事が終わるとカートに食器を戻して、お薬タイムになります。一人一人名前を言って、薬をいただきます。
私の場合、自覚症状もしっかりしていたのですぐに退院の運びになりました。ところが退院が決まった翌朝、いつもの廊下の周回ををしている時にスピードに乗りすぎて角を曲がり切れず壁や手すりに激突して血だらけになりました。退院後も足元のしっかりしない日々が続き、MRIをとり、脳の難病の可能性があったので精密検査をしましたが、異常はありませんでした。
退院の日、病棟の外へ出るドアのところで手を振ってくれたのは仲良くなった女性でした。この女性は何人の患者さんを見送ったのでしょう。
退院して一番初めにしたことは床屋さんで髪の毛や髭をきれいにしてもらうことでした。
こうして我が家の現状を考えてみるとあの時、自殺できていたらどうなっていたのでしょうね。私にとっては一休みできた。そんな時間でした。自殺未遂のきっかけの言葉を投げかけた妻は少し気をつけるようになったようです。むしろ我が家が金銭的に苦境に立ち、家計を立て直さなければいけない時、今度は妻が精神疾患を発症して立場が逆転してしまいました。そこからは私が家事を行ない、役所と折衝したりする生活が始まりました。
フォーマルと靴
義母の昨日の通夜、今日の告別式が終わりました。私はその前から酷い体調不良に襲われていて通夜の日は鍼灸院で治療を受けて,なんとか過ごせましたが、今日の告別式では体調不良で姿勢が保てず、読経のお焼香まではと堪えていましたが、お焼香すると係の方に申し出て控室で休み、火葬場では車椅子をお願いしました。
家に帰ってTVをつけたところ「シュリンク」という精神科医の番組をやっていました。今日はその第一回で「パニック障害」がテーマでした。最初に訪れた診療内科では医師は患者の顔も見ずにパソコンに向かって薬を処方していました。しかし、患者の症状は好転しないところで主人公の弱井先生と出会い自分が苦手とすることを書き出し、クリアしやすいものから「ベィビィステップ」でクリアしていきます。しかし,世の中は待ってくれないものです。そこでバランスを崩すこともあります。それでも一歩ずつ進めるように見守っていきます。
精神疾患を持つ人間は見た目では分からず、「正論」をぶつけられてひどく傷つくことは少なくありません。そういう経験をすれば人が怖くなり、家から出られなくなります。そしてそれはもっと不幸な結果につながることがあります。実際,私自身が自殺未遂を二度起こして精神科病棟に入りました。でもそこからでも立ち上がれます。さすがに家族全員で精神疾患という家を支えていくのは並大抵ではありません。
二日間妻と行動していて、珍しく妻が足をつったと訴えてきました。フォーマルの服装に合わせた靴を二日間履いていて足に負担がかかっていたようです。
実は私の妹の葬儀の時、甥っ子のお嫁さんが上下はフォーマルでしたが、足元はスニーカーでした。私はその現実的な感覚を認めたいと思いました。二日間、普段履き慣れない靴で足にダメージを受ける人がいるならば、見直ししても構わないと思います。
世の中には「正論」を高らかに唱える方々がたくさんいます。
静かな音楽が流れてスライドショーが流れて個人を偲んでいました。
私は納得しない。自分の通夜の席や葬儀前の控室ではぜひRCサクセション,レベッカ、中村あゆみ,ZARD、プリンセス・プリンセス、JAYWALKなどを流すように遺言したいです。
当たり前でいたくない。たとえ年長者が何を言っても私は私です。
遊ばれているのかなぁ?
こんなふうに心が揺れてしまって情けないです。自分に自信が持てていない。私が遊んでいるつもりでも遊ばれてしまっているのかとても不安です。男性なんてちょろいものです。ちょっと「テク」のうまい女性に会えばドキドキしてしまいます。
心の繋がりって何だろう。月に1回「120分」会うだけで心が繋がるなんてそんな調子のいいことはないのかもしれません。私は単にのぼせ上っていたのでしょうか?
男性として自分のストレスをどう処理していくか。難しいですね。夫婦ともに高齢になった時にどうあればいいのか、それぞれの思いの溝をうまく埋めていく作業はとても困難です。私のように仕事人間だった者が切り替えするのは難しい。さらに共稼ぎであったことでのすれ違い、二世帯住宅での両親との価値観の相違と遠慮。サザエさんの家のマスオさんはにこやかに暮らしているけど、山口智子・野際陽子の「ダブルキッチン」ではその難しさが描かれています。実際の姿はどちらになるかはわかると思います。
女性は大変な期間を乗り越えなければいけないし、男性は我慢するのが美徳ですか?
そういう部分で責めを負わされるのですか?すでにそこまでの長期間に我慢を強いられ続けた男性はどうすればいいのですか?自分の中に処理しきれないストレスを抱えていた時、そんな相談を持ち掛けたところ「割り切りなさい」と私にかかっていた呪文を解かれました。そのへんのやり取りは女性には納得しがたいっものでしょう。
今、こうして母屋から離れて一人で離れの中で暮らしていて、生活の不便さはたくさんあります。しかし、眠れない夜にピアノの練習をしたり、YouTubeを見たり。正直、妻の細かいチェックから解放されたことで精神的には少し楽になれたと思います。残念ながら電子レンジもシャワーもなく母屋に借りに行くしかありません。それでも自分の時間と空間を確保できていることで楽になれました。夫婦の間にある程度の距離感を私は求めていますが、妻は私が母屋に顔を出すとずっとそばにいます。そこで言ったの言わないのと摩擦が起きるのですが・・・。夫婦観の相違でしょうか?
愛すべき我が教え子たち
私がデリヘルをしている女性に「恋心」を抱いたことへ多くの教え子たちから「目を覚ましてください!」などと強く止められました。そうでなくとも女性から見れば、自分の夫だったらそういうことをしほしくない。と思うのは当然のことだと思います。
妻はもういつでも人工透析の待っている状況の中で私の体を気使ったお味噌汁でこの10年間をなんとか持ちこたえさせてくれていることは事実です。そういう妻に対してblog内でも悪口雑言を並べていること自体が許せない。と言われることも、まことにその通りです。本当にこの教え子たちはまっとうに育ってきたんだな、と思います。
私は歴史を勉強してきた一人として「恋」の概念について考えることがあります。例えば「男色」だって立派な「恋」と認めていいと思います。
清少納言の「枕草子」ですら「春はあけぼの・・・」と歌いつつ、実は誰か素敵な男性と一夜を明かした風景だとしたら・・・と横浜市ふるさと歴史財団の五味文彦先生も著書の中で述べられています。
万葉集の中でも額田王をめぐり、天智天皇と大海人皇子(のちの天武天皇)の間の恋の駆け引きは歴史として残っています。
現代のような夫婦制度はどこから始まったか考えたことがありますか。
朝の連続テレビ小説「虎に翼」でも「家族のようなもの」という形で決着をつけている場面がありました。
本当に私は表現者として直截的、直情的で摩擦を起こしてしまうことがとても多い人間だと思います。でもそのことが私のように悩む人間がいるのを私は排除できない。もしもそんな時には隣にいて寄り添いたい。
たくさんの方からも忠告を受けました。あなたは自分に正直すぎる。このblogだって誰かに見られていて就職活動が不利になっているのではないか。
しかしこのblogは私の今を生きている証です。自分の「揺れる思い」を素直に出すのは受け入れられないのでしょうか。私はその人がどういう生業をしていても排除できない。それを受け止めなければいけないし、受け止めてほしい。
それこそ日本国憲法第14条の精神という考えにつながると思う。
私は危険かなぁ。そんなにすっぱりと結論なんか出せない。私は私なりに必死に生きています。
少しでも教え子の心に傷つけた行為は謝罪しなければいけないと思います。ただ、自分は授業の中で自分の意見を意識させることに注目してみてきました。もちろんテストでは〇✖はついてしまいますが、本質は授業だと思います。私の授業を思い出してください。私は毎晩、次の日の「今日の授業のテーマ」を書くまで、すごく試行錯誤していました。今日は生徒と一緒に何について考えようか。そこから授業つくりを始めていました。
そういう意味で悩んでしまった教え子たちがいてもしょうがないことなのですが、今回の私にはそういう余裕が見られませんでした。早く答えがほしくて甘えてしまいました。この生涯の中でもここまで追いつめられることは自分にもなかったし、それを素のまま表現してしまった。それでもこのように思い悩むのも間違いない私自身です。