本当の歴史どの出会い。

舐めてました。山と積んだ歴史小説を読み、日曜日の夜は大河ドラマをチェックしてました。(最近のYouTubeこんな動画が溢れてますね。「俺はこれだけ知ってんだ」というものです。私もそんな道へ進みそうになっていたところにストップをかけてくれた講師の先生がいました。当時の私は大学選びの段階でポピュラーコンテストつま恋本選抜会出場を目指していました。まず神奈川大会の渡辺真知子に圧倒され、東海地区で八神純子がプロ転向したと情報が入り、音楽と学業を両立しようと日本大学文理学部三島校舎の軽音楽部に入部しました。練習はきつかったですが、幼稚園からピアノを習っていた史料編纂所のは、定期演奏会で全員のチューニングを、まかされたり、さまざまなバンドのキーボードを担当し、前年度、つま恋で入賞した先輩から、まだ当時はものすごく重いエレキピアノを譲られました。

そんな時でした。先生から「君の歴史は講談田」と言われてました。そして、先生の持ってきた古文書が読めませんでした。早速、春休みの合宿から参加しました。夏休みは山中城の発掘調査に参加しました。岩波講座の60年版、70年版を読みました。特に60年版の東大史料編纂所石井進先生の論文は興奮しました。教員志望に切り替えた私はこれを授業にできないか、研究しました。これを歴史の授業の最初にもってきました。大河ドラマの「鎌倉殿の13人」はまさにこれてす。私は黒板に1180.1183.1185.1189.1190.1192と年号を書いていきます。書き写すスピードはせいとにとってさまざまなので、プリントを用意します。それぞれ簡単な説明をした上で、「鎌倉幕府の成立はどこか」と質問し、討議させます。この作業を通じて、中世国家の成立について、それぞれが自分の考えを持つこと。

社会科が暗記教科でないことを気がついたもらいます。

退職後に横浜市歴史博物館のガイドボランティアをしている時にある年配のガイドから「1192か、1185か」という投稿がありました。あまりにも時代錯誤、あなたは1960年版岩波講座を読んだのか、お言ってやりたくなりました。

 

我が家にはとんでもない娘がいます。娘はいつも手に届くところに専門書があり、これを読んで育ちました。重い精神障害て外に出るのは大変難しいのですが、この才能を活かせないか、と親バカです。