地理との出会い

かつて、大学の地理の時間。自然堤防と後背湿地、扇状地の構造の説明と生活の講義は大変に面白かった.

しかし、さらに転機をくれたのが横浜市の社会科教員の自主的な活動だった「読図研究会」へ寺尾中の社会科の先輩が連れて行ってくれたことがきっかけでした。その後、横浜でも社会科の中心となった漆間先生に出会いました。単に地形図を読むといっても、一つ作業を、加えるだけでこれだけわかりやすくなるんだ。何枚も土地利用図を作りました。山梨県の中央高速の釈迦堂SA付近の、扇状地は格好のフィールドになりました。教科書でここの地形図が使われている理由がよくわかりました。SA内にはものすごい大きな岩の路頭が顔を出していて。扇状地がいかにすごいエネルギーでつくられたかがじっかんできます。

自分は植木屋だと称する博学の先生からもたくさんはなしをききました。実際に現地に行くと、私にはただの森でも、実は何という木の森かいちいち解説してもらいました。

また、漆間先生の社会科の授業の引き出しが際限なくあって、感心させられました。

読図研究会でバス1台で巡検に出かけた際に一つレポートを書いてみないか。と言われて、甲府盆地の古墳について書いたことがきっかけで横浜市中学校社会科研究会から呼び出されることになりました。そして、研究部の主催する横浜市の社会科教員対象巡検講師を行うようになりました。巡検講師は2年連続で終わりのはずでしたが、数年後、巡検講師をやる予定だった先生から6月の時点で交代してもらえないか.という話が来て、特別に3回目の巡検講師を行いました。はじめての時は松本城、城をバックに松本城の歴史をバス3台分のの先生方の前で説明しました。2回目は栃木市那須高原。私はここで田中正造の歴史と関わりを持ち、それが3回目に活きました。フィールドは秩父、川越でした。興味は秩父事件に縛られましたが、すでに担当は決まっていて、川越の案内を頼まれました。横浜との関わり合いの強い太田道灌を中心にまとめました。しかし、巡検講師の仕事を通じて地理の教科書会社にいろいろとお世話になることになりました。例えば、ここのこういう地図をこういうふうに加工してもらえませんか?という無茶振りにも快く答えてくれました。地理は中学生が最初に出会う大切な教科ですから、何としても社会科アレルギーを持たない生徒を指導していかなければなりません。いきなり、縮尺とかから入ればアレルギーになってしまいます。

ポイントはまず、本物の地形図との出会いだと私は考えてます。地図記号を楽しく理由から考えさせて学習させていきます。時には新しく作られた地図記号の情報もそれぞれ大切です。ただ地図が作られた背景にあるものを少なくとも教員サイドは把握しておくべきでしょう。それは戦争です。ペリーが江戸湾にやってきて最初にやったのは測量です。ベルリンオリンピック聖火ランナーが走ったコースはまさにナチスドイツが東ヨーロッパへ侵略していくコースです。それも用意しないで朝鮮半島へ攻め込んだ豊臣秀吉はどういう状態だったのでしょう。彼の部下には加藤清正をはじめ、優秀な土木技術を持った人材はいたし、高松城の水攻め、中国大返し賤ヶ岳の戦いは成立しないはずです。

ある時、社会科の時間が足りなくなり、体育科の先生が週1時間持ってもらうことになりました。まずパスポート。持ってきて、何が必要か学習するところから導入していました。いわゆる社会科に縛られない自由な発想だと思いました。もちろん映像資料は必要です。「街歩き」などを活用しながらやることも必要ですね。ただ映像が日本はともかく、世界については欧米に偏ってしまいがちなのを「世界不思議発見」などで補う必要があると思います。そして、その土地の風土や歴史とうまく絡めて学習を進めることです。文科省の進める地歴並行学習は生徒を混乱させるだけです。