キノコ雲

広島、長崎を象徴するのはキノコ雲の映像が繰り返されます。私は教員なりたての頃、「予言」という映画で原爆の被害に焦点を当てた教材を利用していました。私が特別活動指導部長をしている時に、後輩の社会科の先生に三年生を送る会で何枚ものスライドの中にベトナム戦争で亡くなった子供の写真が入っていました。私はその先生の気持ちはよくわかりました。君たちはこうして、幸せを感じて生きている。しかし、その瞬間にも戦争は続き、多くの人々が亡くなっているんだ、という、メッセージなのだと。大阪万博のコンサートてジローズが「戦争を知らない子どもたち」を歌った時、会場から「俺たちは戦争を知ってるぞ!」という声があがりました。戦争は他人事ではない。私は幼少期、羽田で育ち、大通りをデモ隊が行進し、機動隊とぶつかっている光景を目にしているし、大学では立て看板が立ち並び、大学当局側のガードマンと学生の衝突、学部がロックアウトされた経験を持っています.また。初任校から教研委員となり、5.29横浜大空襲について、全校生徒に呼びかけたかともあります。

また、放送大学で5.29だったのかを、まなびました。5.28のアメリカの戦略爆撃会議でいくつかの原爆投下の候補地の検討がされていたそうです。アメリカ軍は原爆の効果を見るためにふさわしい地形よ都市をいくつか選んでいて、知られてないことですが、京都も含まれていたのです.横浜も候補地の一つでしたが、占領後の物資の輸送のため、候補から外され、翌日、大空襲が行われましたが、よく見ると、港湾施設は無傷なのです。

話を元に戻します。私は特別活動指導部長として、スライドのチェックが足りなかったことを指摘されました。思春期の生徒にとって受け止めるのが難しいせいともいること、また、わざわさ卒業式前の三年生にみせるものなのか、と指摘されました。

そして、たまたまそのころドラマ、映画で「明日」という作品が発表されていました。原爆投下前日の長崎の日常風景が静かに続きます。そして、翌日の正午前。出演者一人一人がアップになり、それぞれ白黒になっていって、エンディングを迎えるものです。

 

漫画「ドラゴンボール」の第二回天下一武道会あたりから、天津飯や悟空が気功砲を放ち、それぞれそれを避けた先で「キノコ雲」が上がっています.作者の鳥山明さんはその「キノコ雲」の下の風景へ想像力が働かないんだ。と思いました。

そういう意味で戦争を二度と許さないという考え方がこういう形で後退して行っていくのを感じました。

その後、その手の漫画で「キノコ雲」は多用され続けています。

少なくとも世界で唯一の作家としてどうなのか、とおもいます。

 

原爆ではないのですが、妻と大学時代に映画「宇宙戦艦ヤマト2」を、見に行った時、最後にヤマトが特攻するシーンが進み、当時はまだ恋人だった妻に、これはどういうことだ。詰め寄りました。

作者の松本零士氏は抵抗したそうですが、プロデューサーの西崎氏に押し切られたという経過があったそうです。