「回内・回外」を根気強く

最後のあざみ野のちびっ子チームは一人だけジュニア出身の部員がいましたが、途中で飽きて、柿生中へ転校してしまいました。しかし、彼女たち素人で体格がなくても最低限、県大会まで行ってます。

南が丘のBチームもAチームの部員たちと見比べれば、体格の小さいから子、不器用な子…。ばかりです。しかし、最後に県大会行きのスマッシュを決めたのはBチームの部員です。

「回内・.回外」運動を正式に習ったのは、川崎1位の松尾先生から末吉にいる時に合同合宿を申し込まれて、二つ返事で、ご一緒させていただきました。本当に作戦勝ちのチームですが、バドミントンに打ち込む気持ちは十分にありました。伊勢原総合体育館を3日間貸し切って、何度も何度も練習試合をくりかえしました。そんなことをしながら、松尾先生から「回内・回外」運動はこうするんだよ、としっかり勉強しました。

そんなことバドミントンマガジンに載ってる、YouTubeで見たと言う顧問や生徒はいくらでもあると思います。

正直に言うと、上半身の使い方いの指導についてはずっと試行錯誤だったのです。新聞紙を丸くまいて、さらに、セロテープでグルグル巻きしたのを体育館の端から端まで投げる練習もしました。本当にフォーム作りは難しかった。

「回内・.回外」運動を理論的に勉強してみると、さまざまなショットが、スムーズに説明できました。

南が丘でもBチームは1コートだけ。あざみ野に至っては、体操部と一緒の日は体育館の四隅から平均大が置かれていて、満足に1コートも取れず週一回、格技場を使わせてもらえるだけ。

こういう環境でも工夫はできました。ネット前で「回内・回外」を飽きずに、練習をし続けました。きちんとラケットの真ん中でシャトルを捉える感覚がしっかり身に付くまでは時間がかかります。

大概は顧問が先に飽きてしまうのです。早く打たせたくて、待ちきれないのだと思います。私は根っから素人顧問を自認しています。遠回りでもできるまで続ける根気強さでなんとかしてきました。

南が丘でAチームだけスポーツセンターへ連れて行って2時間ノックして、帰りにラーメンを奢られているにもかかわらず、私の教室で愚痴を言って帰ります。

例えばミスをすると外周10周といった罰になります。一番手だった部員が膝の故障が絶えず、結局、夏の大会に出場できなかったり…。私は真澄の怪我で痛い思いをしています。ましてや、バドミントンはコートの中のスポーツです。コートの感覚を身につけることが基本です。南が丘の顧問はインターハイに出場しています。自分の練習はそうだったかもしれませんが、まず、いつも別行動のBチームはいつも変わらず基本練習しかしていません。それでもAチームで人数が足りなければ、Bチームから補充メンバーを送り、それなりに試合をして帰ってきている。BチームはBチームで転戦し、ワゴンにメンバー全員乗せて、試合では全員を試合に出した。

私が辞める頃に横浜市の強化練習会に連れていい人数は8人までと決めてしまった。

底辺拡大を図るのならば、そういう画一的なやり方は選手が育たない、と私は思います。例えば例えば、大会運営ソフトも、使い方次第で10人でも15人でも対応できるようにできています。

たくさん出せたから、30対30など個性のある試合ができた。誰もが基本をきっちりやっていれば、チャンスを掴めるように育てたい。一部の生徒だけ優先扱いしていることは部員や保護者にどういう影響があるかを考えたい。横浜市は毎月、強化練習会を開くならば底辺拡大も考えることも大切で一部のジュニア選手を抱えた顧問はオーダー勝負を繰り返して、教育的な意義が失われていかないだろうか。

中学校で好きなスポーツに、巡り合って、一生楽しめるようにするのが教育だと思う。

そのためには日常の練習を根気強くやった上で育てる方法を

始めて顧問になった教員と楽しく話をしてみてもいいと思う。私が顧問をしていた頃よりもっと指導技術は進んでいると思います。

私の顧問人生でいつもいつもうまくいく日はなかったし、そこで「根気よく」顧問が取り組む姿勢を先輩たちから学んでほしいな、と思います。強化練習会の功罪の負の部分に目が入ってしまう。顧問が目先の勝ちにこだわって、関東、全国へプランがないかもしれない。

確かに私も好美たちで横浜市大会の初優勝を経験して、純子、由佳、加世子、由美の二つのダブルスで勝負をかけていた。

だけどそれまでの地道な練習の積み重ねもあったからこその浜中バドミントン部の、歴史が開かれたと思う。それは野庭中の田中光顕先生などがちゃんと見ていてくれた。