巴先生

巴先生の奥様には寺尾中でお世話になりました。

巴先生は岡村中もバドミントン部の顧問になりましたが。どんな練習をしたかわからず年下の私に練習を見学したい。と連絡をいただきました。当時の私も素人ですから、そんなに大した練習てしたが、熱心にメモをとり、疑問点は聞いていただきました。当時の女子の磯子区は岡村中、森中、そして浜中が三つ巴の戦いでした。特に浜中と岡村中は対象的な戦い方でした。浜中はとにかく打て!打て!です。岡村中はとにかく打たれたシャトルと返してきました。先に県大会へ出場したのは岡村中でした。しか

し、私は岡村中のレシーブを打ち破らなけらば、たとえ市大会で勝っても、県大会では通用しない。と考えてました。私に練習をお願いしてきたキャプテンのダブルスが突破してくれました。次の代は素材はよかったのですが、練習に集中できない部員が多く。残ったのは立田だけだった。立田は素早く動きで連続して打ち込みました。岡村中を突破して、市大会も突破して、県大会でも頑張って、春の合宿に選ばれました.次の倉崎・加藤、真澄も区大会を勝ち抜き、団体のシードもいただいたのに、初戦敗退しました。私のオーダーミスです。好美たちの代は相手のトップダブルスは善戦してきて、さらに明子が準決勝で岡村中に敗れてはしまいました。.しまいましたが、千恵が踏ん張って、優勝は譲りませんでした。 しかし、好美たちは県レベルの戦いを通じて、岡村中が追いつかないところまできました。区大会が終了した時保護者の一人が審判用紙を見て、納得して帰りました.後で岡村中のトップダブルスの一人の福井選手のお父さんで、氷取沢高校のバドミントン部のだったそうです。浜中からはたくさんの部員がお世話になった方でした。南が丘の時、卓球部の大会で岡村中へ伺った時、朝、会場に入ると、すぐに体育館の鍵を閉める。森中も同様のようすでした。そういう環境の中でよく選手を育てていたと感心しました。区大会の段階で手を抜けなかったことは浜中バドミントン部にとって、貴重な経験だったと思います。その後巴先生とは御縁があって港北区でもご一緒させていただきました。