デイケアの生活

退職後、私は何もする当てもなく、一日中、スゥエットを着たまますごしさでした。義妹が週一回義母の介護ということで通ってきました。そのころ妻が昇進しましたが、思うようにしごとができず、家に帰れば私と子供たち。そして、母の介護。精神的に参ってました。そこで子供たちも連れて妻の通っている精神科のクリニックへ行きました。すると義妹が自分も立ち会うと、やってきましなが、主治医からはこれだけ抱えていれば調子もおかしくなるよ、いう程度でした。その後、事件が起きました。義妹は私の子供たちを励まそうとしたのでしょう。しかし、それは子供達から見れば一方的になじられた。と受け止め、やっと外に出かけられた娘はそれからは外に出られなくなりました。そして、その後、義妹は今度は私を厳しくなじりました。

義妹のそういう面は義弟も気がついて注意をしたそうです。しかし、次々と告げられる正論の前に、私が立ち上がらないといけないな、とパソコンでパソコンで精神障害者リカバリーの施設を探して、一つのデイケアを見つけました。妻も同行して説明は受けたのですが、自分には受け入れられない部分を残して帰り、翌日、通所した際、再び暴れました。その後、中に入っていけるように努力しましたが、

デイケアではそれまでの経歴は白紙になってしまいます。むしろ日常生活習慣の回復などが行われます。例えば毎日の皿洗い。いつまで経っても合格できず、一人前扱いされない場面もありました。理不尽な言葉をかけられて、涙を流したこともありました。

本当に軌道に乗るまでが長かったです.スタッフからは出過ぎた真似をしないではほしいと指導されたこともありました。

ある程度軌道に乗るまでには時間が必要でした。それは自分自身の心の葛藤だったかもしれません。

その中で一人のスタッフからWRAPという薬に頼れない方が生み出した。精神障害との向き合い方を学び、さらにファシリテーターの資格まで取得して、WRAPクラスを開設して、毎月、何人かの方と自分の今抱えている悩みを打ち明けて、話をしたりする実践も行うようになり、精神障害者の全国大会に、参加して、こんな取り組みがありますよ.という情報を得たり、同じようにWRAPクラスを持ってる方とこうりゅうしました。そしてデイケアも方針の違いで二つに分裂し、新しいデイケアでは積極的にさまざまなプログラムを用意していて、スタッフから、金剛地さんに一コマ任せるからやってみない。ということで、週一回のプログラムを担当しましたが、障害の違い、年齢の違い、価値観の違いなどを配慮しつつ、運営しました。しかし、私が放送大学が忙しくなって「卒業」する時には、「もう金剛地さんいなくなるの。つまらない」という言葉ももらいました。

正直、新しい「授業」でした。、Power Pointをを活用して、一コマ半日分のためにさまざまな勉強をさせていただきました.

WRAPのファシリテーションなども含めると、かなりの実践例はかなり踏んできたと思います。

  ん

しかし。こういう形のリカバリーを家族に要求してていいものか。  

 

本当にデイ理解するまでは私もとてもありました。さまざまな方がいます。年齢差もちがいます。置かれている環境もちがいます。そんな中にいきなり置かれれば間違いなく混乱してしまうでしょう。

担任スタッフの苦労も並大抵ではないとおもいます。

だから簡単に福祉の仕事も勧められないし、現に担当されている方を尊敬します。

特に私のようなわがままがいたりすると、スタッフはしんどかったと思います。

 

しかし、デイケアを卒業してみて皿洗いは苦にならないし、本当に基本的生活習慣を身につける場になりました。