2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

世界史どの出会い

正直、高校の世界史はつまらないものでした。先生がキリスト教の変遷で足をすくわれて、教科書を消化しきれず、世界史を俯瞰することができなかったことです。 大学の世界史の授業はそんな私に目を開かせてくれました。 まずは高校の世界史の教科書の「地理…

公民との出会い

高校時代は倫理社会の哲学の世界が好きでした。 しかし、大学時代、意外な形で公民と深く付き合うことになってしまった。大学2年の時にいきなり父が癌で亡くなってしまった。父が亡くなる朝まで私が寝ずの番をしていた。部屋の四隅に何かの気配を感じ続けて…

地理との出会い

かつて、大学の地理の時間。自然堤防と後背湿地、扇状地の構造の説明と生活の講義は大変に面白かった. しかし、さらに転機をくれたのが横浜市の社会科教員の自主的な活動だった「読図研究会」へ寺尾中の社会科の先輩が連れて行ってくれたことがきっかけでし…

寺尾中の思い出2

同じ年に採用された 同期は5人。最初の年からそれぞれの個性を発揮して頑張ってました。生活指導でバリバリがんばっていたり、教務で頑張っていたり、私は音楽科採用でしたが、社会科も少し持たせてもらいました。そこで「ベルバラ」のバスチーユ襲撃の場面…

寺尾中の思い出1

1982年3月31日、キャンディーズのお別れコンサートの中継を見ている最中、電話がかかりました。それは鶴見区の寺尾中からの採用面接の連絡でした。 当時、私は叔父の会社の立ち上げで就業規則を作ったり、給与規則を作ったり、損害保険代理店業務の立ち上げ…

バドミントン部との出会い

中学校教師として、部活動はつきものです。さいきんは、教示の本来の仕事である教材研究や学級経営、校務分掌などが優先です。しかし、私にとってバドミントンではの活動がなかったら、どんな教師生活を送ることになったのでしょう。 家族はバレーボールでし…

中学校の教科学習との出会い

年次で放送大学の大学院の応募にあたって、ためらいがありました。それは英語の長文読解です。過去問題を見ても、他の方にはたいした問題でははないよくわかりません。 日本大学の現役中も2年次に不可で3年の夏休みに2週間のサマースクールで代替えしてもら…

本当の歴史どの出会い。

舐めてました。山と積んだ歴史小説を読み、日曜日の夜は大河ドラマをチェックしてました。(最近のYouTubeこんな動画が溢れてますね。「俺はこれだけ知ってんだ」というものです。私もそんな道へ進みそうになっていたところにストップをかけてくれた講師の先…

日本史との出会い。

小さい頃から父の机の上に司馬遼太郎の小説が乗っていた。ルビが 付いていたので幼稚園児の私にも読めたのです。最初は「新書太閤記」でした。 観音寺潮五郎にも手を出しました。父親がジュニア用の百科事典を買ってくれて、第10巻が歴史でした。父の部下が…

高校生活のはじまり

私の高校選びはかなりいいかげんなものでした。父がガス会社で働いていたので工業科に行くのかな…なんて考えていたら担任は川の向こうの学校へ行け!それも滑り止めなし。わたしも、たあ、そんなものかな、それが神奈川県立柏楊高校です。 学校生活がはじま…

生きる力をくれた母 2

母は腎不全だった。当時の医療技術ではどうしようもなかった。初めて人口透析という技術が普及を始めていたが、まだ、自由診療でかなり高額な治療費がかかる。父の収入では負担しかねる状況だった。父は板挟みになり涙を泣いたそうだ。 それでも人口透析に取…

生きる力をくれた母 1

母と父はもともと知り合いだった。 祖父が父に課した条件は月給1万円になったら、迎えに来い。父は月給1万円をもらえると、すぐに、鹿沼に向かった。その晩は父と祖父は一晩潰れるま、酒を飲んだ。 しかし、母を迎えていたのは祖母の嫁いびり。また、自分よ…

不思議な祖母、叔父、叔母

祖母は母に「嫁いびり」を繰り返していました。 鹿沼から母の妹が手伝いに来ました。ある時、叔母は私と妹を連れて、六郷橋まで歩いていきました。満月の月でした。 父は一つの決断をしました。横浜に土地を買って、家を建てることになりました。 そして、あ…

父と家族

曽祖母はねたきりで、唯一の楽しみは 大相撲の大鵬の取組でした. 祖母は終戦直後に祖父が病死しました。私の父はガス会社の給仕をしながら夜間学校へ通いました。 父は非常に優秀な人でした。電気関係の部署に配属されて、当時は最先端だったコンピュータを…

私の幼少期

今週のお題「お花見」 私は羽田の糀谷病院で生まれ、羽田の町で育ちました。当時の羽田は先端に国際空港はあるものの、もともとは漁師町です。角には餌屋もありました。 六郷川へ歩いていくと祖母の妹夫婦の住む船があり、とても優しい大叔母夫婦で温かく迎…