中学校の教科学習との出会い

年次で放送大学の大学院の応募にあたって、ためらいがありました。それは英語の長文読解です。過去問題を見ても、他の方にはたいした問題でははないよくわかりません。

日本大学の現役中も2年次に不可で3年の夏休みに2週間のサマースクールで代替えしてもらうほどでした。

教師時代もフィリピンから来た生徒との間でほとんどコミュケーションが持てず、本人はただひたすら机に座るだけでした。当時、進路主任だったにもかかわらず、どうしても本人に適した進路先を紹介できず、大変申し訳ない結果になってしまいました。

博物館のガイド時代、学芸員さんとの連絡していると、学芸員さんは机の上に英語の論文。例え日本史の論文作成もえいごが必要です。

そして、今回、再就職にあたって、英語が足を引っ張りました。

 

こうしたきっかけは中学校1年生での英語の授業との出会いです。とにかく当時の授業、教科書を理解できない。担当の先生もそれほど工夫しているように思えませんでした。(個人の感覚です)学年があがっても一向にそのすれ違いは大きくなるばかりでした。

 

放送大学でも別に英会話教室に通いながらなんとか単位がとれました。

 

そういう実体験から中学校の新しい教科学習との出会いは大切だと思います。

ところがその教科書がつまらない。興味を引かない。単に教科書の順番にやっていっても、大変にわかりづらいです。ただ文科省の教育課程はほとんど今までのものを引き継いでいくばかりです。

 

社会科研究会の関係から教科書会社の検定前の白表紙本の本の校正の仕事が教科書会社から依頼され、校正作業に取り組みましたが、骨格の部分には手を出さず、単に図版の差し替え、サイズの調整などにとどまりました。さらに教員たちが授業の参考に使う授業書の執筆にもあたりましたが、全国の教員が使うものですから、あまり冒険もできず、不完全燃焼でした。

やはり教師一人一人の工夫次第です.

 

特に中学校1年生,地図記号に勉強から入りましたが、地図記号には理由があることを強調しました。そして、地図記号には変遷がある話をして、よく使ったのは田の地図記号の変遷について、実は水田と陸田の違いがあったこと。また、その理由を説明しました。そして、職員室に行って先生方に田の地図記号を書いてもらうと、いつ頃に田の地図記号を学習したかわかってしまう。という悪戯を仕掛けました。

生徒はすぐに職員室で先生方を試しに向かいました。これで生徒の印象に残ります。

中学校2年はいきなり鎌倉幕府の成立の授業から入り、教科書を鵜呑みにするのではない、武士とは何か。中世とは何かを考え、年号の暗記は必要最低限でいいことを了解させます。

中学校3年生はいきなり婚姻届を書かせます。しかし、これが憲法学習の始まりになります。そんなことしていたら、教科書が思うでしょう。

有名な話で江川卓氏は慶応義塾大学の入試で白紙答案でした。日本史の問題で現代史が出題されました。江川氏の歴史担当の先生はとても熱心だったそうです。しかし、太平洋戦争までしか終わってなかったそうです。

私自身も横浜市の教員試験で専門教養で第一次世界大戦後のドイツから出題されています。一方、高校の授業では担当の先生がローマ帝国から熱が入り、おせんでしたを消化し切れないでいます。当然、昭和、平成、令和となれと現在の教科書では、すでにカバーしきれません。昔はは良かったというがか?1964年の東京五輪の直前の東京

五輪直前の東京の路地裏。必ずコンクリート製のゴミ博多が設置されてました。そこへ各家庭からゴミが出されました。ゴミはうず高くなり、カラスは人間の食べ物の味を覚えました。そして、ゴミ箱は路地に散乱していたのです。慌てて、各家庭にペール🥫を配り、ごみ収集車がこれを集めるようになりました。

また、大人はそこら辺で平気で唾を吐きました。大型のゴミは川に捨てられました。当時の鶴見川多摩川隅田川の写真を見るとどうなってましたか。

相変わらず、教科書は政治経済の流れを追うばかりです。

それぞれの学校に焼却炉があったのを覚えてますか。今はありません。なぜですか。1970年大阪万博がありました。コンサートが行われ、ジローズが「戦争を知らない子どもたち」を歌った時、会場から「俺たちは戦争を知ってるぞ」と声がかかりました。日本はアメリカ軍のベトナム戦争における前線基地てした。横浜でノーサポートへ入る橋で飛鳥田市長が座り込みをして戦車を阻止した事件もありました。

しかし、アメリカ軍はベトナム軍に思わぬ苦戦をします。ベトナム軍はジャングルの中にトンネルを掘り、ゲリラ戦で対抗しました。そこでアメリカ軍は枯葉剤を空から散布しました。しかし、ベトナムで多くの奇形児がうまれて、国際問題になりました。

しかし、この枯葉剤の原料ダイオキシンが実は簡単に出来てしまう。低音でさまざまなゴミを焼くと、すぐにできて、健康被害が起きることがわかりました。こうなってくると、我々自身の問題になります。何もベトナム戦争の現場の写真を見せなくても、こうした学習ができるのです。

教科書の足りないところはこうして克服できます。

それだけの時間をどう確保するかは、それぞれの授業計画次第です。1年間の授業プリントを先に作ることです。例えば、よく引っかかるのが、戦国、江戸の三代改革、幕末です。たいがいの教師は歴史小説の読みすぎです。話がどんどん膨らんでしまいます。また、江戸の田沼意次松平定信の政治は一つの課題へのそれぞれのアプローチとして、比較検討させることでむしろわかりやすくなります。

こうした工夫をくりかえすのです。しかし、時にはチャップリンの「独裁者」の演説の場面を編集して見せて討論することもしました。