89の年

もともと年号の暗記は好きではない。自分自身もそうだから。三谷幸喜作ミュージカル「日本の歴史」の中でも「インガ」という歌が繰り返されている。「因果応報」歴史の勉強の際、原因→経過→結果→影響で話を進めていくことが多い。

しかし、歴史の中で偶然に面白い「年」が、あることに気がついた。その数字が「89」である。歴史上にインパクトのある出来事にこの数字が絡んでくる。

1689年権利章典

1789年フランス革命

1889年大日本帝国憲法の発布

1989年昭和天皇崩御天安門事件ベルリンの壁崩壊

じぬは私の息子の生まれた年でもある。

ふだんはYouTubeで音楽を楽しんだりして夕食後を過ごしているが、今日は見てほしい番組があるとお楽しみはお休みして「アナザーストーリーズ

昭和の終わった日」を見てもらった。息子は「こち亀」で「自粛」でぽぽ1週間近くテレビ番組が昭和の回想番組が繰り返されて、若者たちがレンタルビデオ屋さんに走ったエピソードを見せてくれた。私も

当時、栄区に住んでいたが、周辺のレンタルビデオ屋さんを何件も周り歩きました。いつになったら「自粛」ムードから元通りになるのだろうと。レンタルビデオ屋さんと往復した。

番組の後半か天皇の死因をめぐる宮内庁と病院の間のやりとりの話となって、本当の死因が発表されたのは9月16日。天皇崩御の日。1月7日からそれだけの時間がかかっている。いわゆる「菊のカーテン」というものの象徴的なことである。娘は病気の関係もあり「ガン組織」の映像は見たくないのだが、部屋に戻ってはいけないよ。と、その場に座らせた。

そういう意味で昭和天皇という存在は戦前は荒人神、戦後の人間宣言と、まさに日本の転換点。そのものの存在である。

だから、なぜ歴史の教育はそこまではやらなければいけないと思う。そこらへんについて教科書は次第にあいまいにされている。そういう教育をされた社会科教員たちはそこまで踏み込まないのが現実だと思う。でもそれでいいのだろうか。

確かに私と一緒に歴史を担当したベテラン教員がいた。テスト範囲を決めるにあたってその教員はいつまで経っても、原始を抜け出せないで私はテスト作成に苦労したことがある。例えば「人類の誕生」については。今でも進化論を絶対に認めない宗教団体がアメリカではかなりおおきな影響力を持っている。そういう異文化と衝突した時にあいまいな話でなく、しっかりとした論理で話さなければいけない場面もあります。そういう意味で大切な項目だが。歴史教育にかけられる時間は限られている。

教科書をそのまま考えなく進めてしまう。または。自分の興味のある時代にこだわってしまう。こういう社会科教員の下でしっかりした歴史教育は行えるのだろうか。