障害者のことは障害者にしかわからない。

「あなたのいうことはきっとずっとわからない」

そういう切り捨てがされた。社会科教師の先輩の言葉である。「あなたは観念的、直情的すぎる」という言葉も添えてあった。そのことについてblog上に書いたところ、激しく攻撃された。その方はとても社会正義を唱えていて盛んにfacebookに投稿を繰り返している方です。そういう投稿を続けていらっしゃる方から上のような言葉を突きつけられた時、どう答えていいかわからなくなってしまった。その結果、その方とのメッセンジャーを切断した。それでも何か足りないものを感じている。何か一方的に傷つけられたような気持ちがしてしょうがないのである。しかし、教員の心の健康問題は自分にとってこれからライフワークにしていきたい。と思って居ます。そのためにはできるだけ早くWRAP活動を再開したいのだが、周知方法があるまだまだ限られたいることがネックになっている。さまざまなところでそういう需要があるとは言ってもらえるのだがなかなか上手くいかない。

まして、自分の先輩にあたる方からの言葉が厳しくて…。まだまだだ引きずっています。うまく吐き出せない。全文を掲載すべきだ。と言われてもいるが、上の言葉は突き刺さり、もうそこから一歩も動けない。そういう精神的な状況で何もかもうまくまとまらない。わたしの主治医もとても忙しい方なので、時間が取れない。

自分の持つ障害はあくまでも少数派であつて「理解して出来ない」と突っぱねられた瞬間から思い悩んでしまう。どうしたらこうした障害に本当に理解を求めることは無理なのだろうか。障害遠持つ者は其の中で話をしていくだけでなく、生涯を全く生きていくことをもっともっと発信していくことが必要なのではないか。