リハビリに入れた理由

今、まだ妻が自分の精神障害を受け入れて自分から回復しよう。という気持ちにならないでいる発症は一昨年の一月。どん底まで落ちてしまった。そこから見れば回復はしているだが、まだ、感情が、むき身のままで家族は困っている。

自分の場合、リハビリへ踏み出そうと思うきっかけは気妹の「正論」だった。子供たちはその「正論」を公衆の面前でやられて、特に娘の引きこもりのきっかけになってしまって。以来、義妹とは関係が途切れている。妹のパートナーから伝わっているのは義妹も精神を病んでいるようである。

私は義妹に「正論」をぶつけられたのが、悔しくて悔しくて、自分で自分でリハビリ施設を探して、幸い、近くにリハビリ施設は見つかったが、リハビリ施設のドアを開けて中に入ってみると、なぜそんなことしなくてはいけないのか。その葛藤があった。

同じ施設に通うメンバーとの衝突も何度もあった。それでも見返してやりたい一心だった。元教師という看板を下ろすところから始まらなくてはいけない。例えば皿洗い一つとってみても合格するまで半月かかった。悔しくてスタッフの大泣きしたこともあった。次第にスタッフの信用がもらえらるようになり、週に一回のプログラムを任されるようになり、広報紙も製作するようになり、合間で放送大学に入学していくつかの資格を取得していくことで先への見通しができてきた。

そんなことろへ妻が真っ青になって、預貯金がすべて引き出されてしまった。というアクシデントにみまわれて、それでの家の家計のやりくりでは「家庭崩壊」すると教え子から、すぐに対応策をLINEなどを通して送ってもらった。また、妻が「かわいそう」、と抱え込んでいた子供達の障害者手帳障害年金の申請をおこない、そ!までは私の預貯金から当たり前のように引き出されていない各種の税金、公共料金をを引き出す別口座を作って、家族全員で生活費を賄っていく仕組みに変えた。また、妻はこの仕組みを理解していない。しかし、やりくりを繰り返してなんとかここまできている。

ただその精神的な葛藤は厳しい。

しかし、妻が苦しい時に私は自分の仕事に逃げ回っていた。妻にはその失望感があるのだろう。

そんな妻と毎日顔を合わせていくのはとてもとても辛い。そんなわけでわたしは離れに逃げ込んだ。しかし、妻のカウンセリングも私のカウンセリングができていない。どうしても医師による診察だけでは投薬ばかりで治療にしかかなっていなあい気がする。生活支援センターからから2週に一回職員が派遣されたいはいる。

しかし、実は精神的に追い詰められている私の気持ちを受け止める仕組みができていないのは、やはり厳しい。たぶん、今日も眠れないまま夜が明けてしまうのだろう。

今は妻がリハビリへ自分の足で向かう気持ちをどうやって引き出せるか苦しんでいます。今の私の願いはこの離れで最後をむかえたい。家族のへの思いを残したまま病院のベットで旅立ちたくない。

話がずれてしまった。妻の場合、また、そういう自分自身から回復すきっかけはいつやってくるのだろう。私のように「正論」をぶつけられたことに反発していけたことはそれだけ私の中の心のエネルギーがあった身体であって回復への道へ向かえた。しかし、今の妻にはそういうエネルギーを期待するのが年齢的にも難しい。しかし、妻はそのままでは家庭は穏やかな生活にならない。どうすればいいのか生活支援センターからと協力しながらうまく機会を設けていくことをさらに考えていく必要がある。

子供たちはまだまだ回復しようというエネルギーがある。生活支援センターからの支援のもとに着実に回復への道を歩んでいるのと対照的である。