精神病棟

正月から書くべきことでもないかも知れないが、今の妻を見ていて「精神病棟」の言葉が現れては消えている。リハビリから帰ってきた時、我が家は妻中心に動いていた。ただ、妻も仕事が忙しく、子供にお金を渡すことで子育てしていた。「かわいそう」という口癖だった。その一方でリハビリ中の私に「あなたがいなくてもこの家は大丈夫…」と言われて、自分自身がどうにもならなくなり、寝室に行き

薬を枕元に積み上げていった。自殺…自分にはそんな意識はない。ただいつの間にか妻がそばにいた。妻が薬をビニール袋に入れて持って行った。

翌日、自分で病院に連絡してメンタルセンターで入院に向けて準備を始めた。なかなかベットが開かず、淡々と日々が過ぎていった。精神病棟に入るにあたって、ベルトなどすべて預けて入っていった。自分の中に不安感だけが膨らんでいた。誰もが「敵」に見えていた。周りの一挙手一投足が怖くて怖くて、順応したくない。と思っていた。そんな時、一人の患者さんが入ってきた、粗暴な方で周囲の患者さんたちが怯えていた。その時に、怯えている患者さんたちに「大丈夫、俺がやっつける」と立ちはだかる形になった。そこから他の患者さんとの壁が崩れていった。ところが例の患者さんが閉鎖病室から自分たちの部屋へ入ってきた。何故かその方は見た目と違って私と同い年だった、ロビーで相手構わずオセロを挑戦していた。最後に私に挑戦してきた。一戦目は私が負けた。もう一回戦と始めて、今度は私が勝った。もう一戦となって、私が勝った。それから毎日、私の前にオセロを持ってきた.必ず一戦目は私が負けた。その後、ニ戦目、三戦目は私が勝つ日が繰り返された。

とにかく運動不足になるのが一番怖いので食事前に病棟を2周以上回った。ある時、私を追い抜いていく女性がいた。悔しいから追いついていった。負けるもんか、とお互いに早足でグルグル回った。親しくなって冗談も言い合える仲になった。ただ悔しいのはオセロをやって私なりの手練手管で勝負しても一度も勝てなかった。その女性はもう一年以上入院してると話していた。自分の回復は意外に早かった。ところがいつもの周回コースを全速力でまわって、バランスを崩して病棟の壁に激突した。かなりの重傷で血だらけになって廊下に転がってしまった。あれっ、退院は取り消しかな?と心配になってしまいました。しかし、予定通り退院できた。そして、退院する時、病棟の出口で待っていたのはその女性一人だった。私が返り咲いた途端に横浜市歴史博物館のガイドボランティアのチーフの仕事がすぐに待っていた。いつもの日常が戻ってきた。

今、妻が苦しみながら毎朝、愚痴を言われ続け、なんかどこまで回復へのきっかけがつかめるだろう。

ずっと悩み続けている。自分だったらこうする…というものがあるが、回復がスタートするには本人の意思でしかないことは私自身が一番わかっている。何度も生活支援センターの担当者と話し合いを繰り返してはいるが、糸口が見えて来ない。子供たちはそんな母親にイライラしているのが私にはわかる。

しかし、主治医からも何の指示もない限り、どう動かしようもない。

今日は訪問看護ステーションから看護師が派遣されてきて散歩に出かけた。しかし、そのあとは娘の部屋に潜り込んだしまう。とにかく長い長い取り組みが続きそうだ。