博士の愛した数式

今、「博士の愛した数式」を見ています。

私の毎朝は6:20にチャイムがなって始まります。母屋へ行って雨戸を開けて、カメに餌をあげます。私の気配を感じると妻が寄ってきて、今朝は何時に母屋へ来たの?と聞く。実は明け方に一度母屋に来てお湯を沸かして、昨晩の夕食で使った食器が水切り籠に入っているのを一つ一つ拭いて食器棚へ戻して置く。理由は夜中にビデオ操作をしているので、そのついでである。妻はほぼ毎朝、同じ朝食を作る。私の腎臓のことを一番気にしていて、とても薄味の味噌汁を作ってくれる。私は「世界一の味噌汁だよ」と言って。まず、味噌汁から口をつける。そして、毎朝、不毛な愚痴を聞きながら朝食を食べる。しかし、妻にはこれが最良の時間のようだ。

今日の朝は特に妻はパニックを起こしていた。三ヶ日に何を作るか、今の妻にはメニューが立てられない。スーパーが開いてない3日間というだけで妻にとっては大きな重荷になっている。週に一回生協が食料品を持ってきたくれるので何日か分は間に合うが、あとは一つ覚えの料理しか出てこない。子供たちも30歳を超えた。しかし、二人とも社会生活に戻る訓練中。食事作りはできないことはない。妻の現役中、昼食は二人で作っていた。しかし、定年退職して妻が家にいるようになると、昼食も妻の分担になってしまいました。

しかし、妻が精神障害を発症してほぼすべてのメニューが頭から消えたあと、スーパーで妻は泣きべそをかいていました。現在は生活支援センターから派遣された支援の方のおかげで一つずつ取り戻しているはずなのですが、妻は頑固に同じ料理ばかり出します。私は腎不全を患っているので毎食外食はできません。例え同じ料理が出てきていても「美味しい」と言って食べなくてはいけません。毎食、スマホで写真を撮ったものを管理栄養士の先生に上手く調整していくアドバイスをもらいながら、食事を続けています。ただ妻がメンタルクリニックへ行く日は帰りに買い物をして、帰ってから夕食を作るのは負担が大きすぎるから、娘がその日だけ夕食を作ることになりました。しかし、娘ももう一度、食事作りの練習がこれから始まります。最終的に子供たちが食事作りができるようになっていなければ、子供たち自身の人生に関わる問題です。

なんか我が家の話ばかり書いてしまいました。  「博士野愛した数式」は私の教員としての基本になることがたくさん数式と共に学べます。そういう意味で何度も繰り返して見ています、たった80分しか記憶の保てない博士の役を寺尾聡が演じています。だからこそ基本の大切さを何度も繰り返すのです。ここ半年で高等学校の日本史の授業、続いて小学校こ個別支援学級。終わった途端に風邪をひいてしまいました。ずっと長引いています。去年からの疲れが一気に出てしまったようです。

もう一本渡辺謙の演じた「明日への記憶」で、若年認知症を扱った映画があって、妻が自分の記憶がどんどんなくなっている恐怖心の中で怯えています。その映画と二つとも見てしまうと、いたたまれない気持ちにさせられます。

どちらも「記憶」を扱ったものですが、今は見ているのが、とても辛いです。

妻から私が昔の話をよく覚えている、と感心されます。それだけ教員の現役時代も、リハビリの生活も強烈だったからでしょう。だから高等学校からお話をいただいた時、溜まりに溜まっていたものが、出てしまった気がしました。久しぶりに「博士の愛した数式」を見ながら、もう一度基本に戻る大切さを感じながら見ています。「感じること」「愛すること」。それが基本だったことがいつの間にか失っていた。

オイラーの公式」の中に「虚数」が入っている。ありえない数字なのだが、今まさに自分がそこにいる気がする。