死蔵されたピアノ

我が家の母屋の書斎の奥にアップライトピアノが一台ある。小学校4年生の時に両親が大枚叩いて買ってくれたものである。二世帯住宅ができてピアノも書斎に運ばれた。しかし、今私はピアノが弾くに弾けない。ピアノの周りに本棚がたくさんあって、もう助け出すことは不可能になっている。妻の家具好きは一つの病気だろう。次々と床を測りこういう家具なら入ると考えていた時の妻はとてもウキウキしていた。私も家でびあのを弾くこともなくなっていたし、子供達もピアノを習わせても先生の方針と合わないところがあってすぐ辞めてしまった。

だけど私は時々、ピアノが弾きたくなる時がある。

その感覚が妻に理解してもらえない。私は幼稚園からピアノを習い、ポピュラー音楽に触れ、自分なりに弾いてきた。この家に住むまでは…

確かに忙しくなってピアノに触れてはいなかった。

しかし、今のように埋もれさせてしまって、大きな財産が私から奪われた気がする。

妻には音楽の趣味がない。私が中学校てたくさんの新しい曲に触れてきた。今でも思い出す曲が次々と溢れてくる。なぜ自分のピアノがあるのに使えないんだ。妻にピアノ一台にどれだけの価値があるかまったくわからないと思う.本当に不幸な結婚だったと思う。少なくとも金銭的な余裕のある状態なら引っ越し屋さんにお願いして移動させることもできたのだろう。私のフラストレーションがどんどん溜まっていく。こんなに必死に家の家計を守っているのに何の見返りもないのだろうか。たぶんこんな話を妻に話したら、うちにお金があるの?そんな余裕がどこにあるの?音楽を理解しない妻を持ってしまった不幸です。少なくとも分かったことはこの世には二つの人間がある。音楽を理解する人間と理解しない人間。確かに学校時代は真面目に勉強に取り組み、特待生として、親孝行して、嫁としても私の家の法事や盆暮れの挨拶もきちんとやってきてくれた。私の体を誰よりも心配してくれて、私は妻の味噌汁が一番好きである。腎臓の数値が限界まできて、町のクリニックに手にえなくなって4年長らえていることに私は感謝している。

しかし、今の私の精神の安定にピアノが必要なのに本に埋もれている。