トマト信仰

我が家の夕食には必ずトマトを刻んだものがです。以前はトマトとキュウリが刻んだまま食卓に並んだ。最近は生活支援センターの指導でオリーブ油を和えるように工夫するようになったが、考えてみると、結婚40年、私もよく食べてきたな。妻がストレス障害を発症して、頭の中から夕食の、メニューがほとんど失われたが、トマトとキュウリだけは忘れなかった。しかし、生のトマトとキュウリを刻んだのに、あと一品の生活が続き私の体重はみるみる30㌔痩せてしまい、栄養指導の中心もどうやって、体重の減量を止めるのかになってしまい。足りない分を栄養ゼリーや間食、そして、コンビニで買ってくる惣菜一品を摂ることになった。

正直、食費は妻の管理にしているが、こうした出費は私の家計を破綻へ進めてしまう。まずは自分の身体を守らなければいけないので、それでも買ってくると、妻は嫌みを言う。なんとか生活支援センターの方が台所に入ってくれる日はなんとかそれなりに食卓も賑わうが、次の日からは再び元通り。そして、土曜日は肉じゃが。あとは生協で買ったおかずセットを食べ終わると、また、小皿に一品。もともと、現役の時も平日は妻の味噌汁を飲んだあとはお昼はコンビニおにぎり。夜はカップ麺。休日の朝は家族の起きないうちに、そーっと出て吉野家の朝定食を食べて学校へ向かった。日吉台の時は応援がてら保護者からお弁当をいただいていました。その分、食べられる時はとにかく必死に食べていました。今、妻は「あの時、あなたはいなかったと責めますが、私にとっても間違いなく、身体も心も蝕んであったと思います。あああー

嗚呼ああ私には花こんにゃく信仰がありました。駄菓子屋でおでんが各種売ってました。頂点に君臨していました。私の手の届くのはおでんでした。一本5円のこんにゃくでした。そこにこんにゃくを花模様にしただけの「はなこんにゃく」は7円でした。私の当時のお小遣いは一ヶ月10円、ここで究極の選択となります。そして、さらに近くにスーパーができてな会がめて見ると、サイコロキャラメルというものがありました。10円です。一ヶ月を二個のキャラメルで過ごす?

当時の羽田の町は漁師町です。私の家から大通りへ出たところには「餌屋」があり、虫が蠢いていました。自然に食べるものは魚と佃煮。お陰で骨折知らずです。唐揚げを食べたのも学校給食が始めてでした。その日、家に帰って母に「今日は唐揚げというものを食べたよ」「そりゃ、すごいね」という会話が交わされました。羽田の町には肉屋は一軒しかなく、肉は京急羽田空港線で蒲田まで出ないとかえませんでした。

話が大分それてしまいました。たぶん妻のトマト信仰も小さい時の刷り込みがあるんだと思います。