チャイナステップ

日吉台中の職員室前でバドミントン部が練習していたのがチャイナステップです。市大会の反省会の時に矢向中堅の金井先生がぼそっと「チャイナステップが…」と呟いたのを小耳に挟んで、当時のバドミントンマガジンや解説書を買い漁って、なかなか、詳しいものがなく、たまたま中体連専門部よ練習会で中国人コーチが来ていて、教えてもらうことになりました。

今ではYouTube奥原希望のチャンネルで見るとでています。娘にこの動画を見せたところこんな練習してたら部員があつまらないね。と言われてしまましたが、浜中からはじまって、日吉台中でも、まずここから取り入れてます。

だから朝からバドミントン部は飛んでいたのです。ここで一人一人の敏捷性などをみていて、一番目立っていたのが真弓です。一見、背も小さく、ちょっと丸い女の子でした。あえて、彼女には最後の大会が終わるまで「痩せるな!」と厳命しました。パートナーは長身でバランスの良い子でした。凸凹コンビでふが二人の仲も良く、意思の疎通もよくできていました。また、このチームの核はここから始まりました。また、シングルス、第二ダブルスも仲が良かったです。第二ダブルスは3人を固定せずれんしゅうをかさねてました。

もちろんバドミントン部全員がチャイナステップに取り組むのは初めてのことのようでした。基本練習に一年も三年も関係ありません。三年生はいきなりこんな練習から始まることはなかなか理解できなかったと思います。

さらに三年生ダブルスはローテーションという概念も知らなかったようです。かわいそうに最後の試合まで「わからない、わからない」と悩みながら試合をすることになってしまいました。当時はそういう映像もなかなか見つかりませんでしたから、口でどう説明しても、やはりわからなかったとおもいます。

ただ浜中の時も言われた「足作り」が基本ですので、とにかく根気良く、根気良く続けることです。

知ってる、知ってるという顧問の先生はたくさんいると思います。幸いなことに?私はそんなにバリエーションのある練習ができません。だから基本に集中できたのだと、思います。

そして、日吉台中の体育館だからできた練習「津波」が誕生しました。すごく単純なシャトル拾いの練習ですが、日吉台中の生徒たちは、次第にあたりまえのようにこなすようになりました。

時折り練習を見せてくださいと、やってくる学校には一緒に体験するといいよ。と、勧めました。すると、1セット目でフラフラになっていました。

その後、問題を抱えた生徒たちはバドミントン部が休みがないので担任から預かるようになっても練習は遠慮しませんでした。ところがこうした生徒たちも一生懸命に取り組んでくれました。