「文化史はやりません」

私が非常勤講師の面接で教科の先生方との打ち合わせで出てきた言葉です。耳を疑いました。政治経済史をやればいいです。確かに教科書の中の文化史の一覧表を「暗記」させるのは面倒くさいでしょう。教科書では文化史のさまざまな人名、著名、事柄などすべて説明することは大変に時間がかかります。では一つ一つ説明する必要があるのでしょか。しかし、文化史と政治/経済/社会は密接につながります。むしろ文化史と絡めることで政治/経済/社会がより生き生きしてきます。社会科が「暗記科目」という思い込みから開放されていきます。

逆にこういう文化の背景にどのような政治/経済/社会があるか考えるきっかけ作りになります。

江戸時代を考えるとき、生類憐れみ令と元禄文化の絡み。徳川綱吉が制定した「武家諸法度」が徳川家康・秀忠の時代と大きく変化しています。そこにはどのような政治背景・社会背景がその条文をみれば時代の変化を読み取れます。徳川幕府による安定支配が安定する時代と元禄文化の背景と関連してきます。「三大改革」という用語にも経済生活のある一面しか見えてきません。江戸幕府を通じて幕府の経済政策は2つの方向に揺れ動いてから考えると典型的には「田沼政治と寛政の改革」について経済政策面の比較検討をさせれば大まかな江戸時代の政治経済政策の比較が出来ます。それが教科書で田沼政治で見開き2ページ、寛政の改革で見開き2ページを忠実に授業していれば当然2時間枠になってしまいます。そういう所を論点を絞って授業を進めることが効率的な授業にならないでしょうか。それと浅間山の大噴火をうまく絡めることは日本人の災害意識を高める役目を果たします。化政文化天保の改革については来年の大河ドラマの主人公が蔦屋重三郎ということで日本の出版文化の話しを抜きに理解できないでしょう。また、このような出版文化の発達によるその後の日本人の識字率の高さとも関連が出てきます。なぜ、「明治維新」以降の諸改革が広がる背景にこうしたことが関係あるともいます。

明治時代の日清・日露戦争と医学の発展の関係も戦死者より感染病や脚気対策の誤りで多くの病死者を出している事実を把握すれば世界史的な医学の発達と併せて考えてみるとそれだけで本当に「文化史」抜きの歴史の授業はありえるだろうか。

帝国主義の授業をしているときに帝国主義を進めている理念の裏にあるものとして「文明と野蛮」という考えが教科書の欄外で扱われているにもかかわらず、そこに授業で触れたとき、生徒の反応ははかばかしいものでなかった。さらに教科書にはない「文化心理学」に話を進めると反発さえ生徒さえあった。つまり生徒たちはまるで教科書にないことについては拒否する傾向がある。こうした知的好奇心の広がりのなさは何から来るのだろう。

彼らにとって「評価」がすべてであり、テストにでて来ないような話しには耳を傾けようとしていない。つまりテストの作問者の価値観に問題があると思う。マークシートが70%、記述式が30%(簡単な歴史用語・人名など)その生徒たちの考えを育てるような授業はできているのだろうか。「評価」という教育用語のもとに、教育の基本が失われているように見える。多様な考え方が出来ない生徒たちを育ててしまっていないだろうか。

しかし、現代社会ではさまざまな宗教・価値観についての理解が必要な時代である。このような一つの尺度によって生徒を選り分けるような教育で良いのだろうか。