帝国書院 「中学校社会科のしおり」編集部 御中

毎年、「中学校のしおり」を退職後も10年以上にわたって送っていただいて、とてもありがたいと思います。

昨年の8月末から11月末まで神奈川県立高等学校の非常勤講師として『日本史B』と「歴史総合」を担当しました。

まず、校長面接の後、社会科教員たちから驚いたことを言われました。「文化史はやらないでください」耳を疑いました。

日本史B』は応天門の変から、「歴史総合」は大航海時代からでした。8月末からスタートとなるとこれで1年間を通してどこまで授業を進めるかも大変にあやふやでした。

私が中学校で社会科を担当していた30年間、歴史は「高度経済成長」までは進める授業の工夫をしてきました。一方で、何人かで歴史を担当していた時にあるベテランの先生がいつまでたっても「原始」から抜け出せずに、中間テストの範囲を「四大文明」までにせざるを得なかった経験があります。そういう意味で「戦国時代」「幕末」に数時間を擁してしまう先生もおりました。

しかし、確かに大河ドラマで扱っている時代は「戦国時代」「幕末」が圧倒的に偏っています。合戦シーンの前に使ったものを使いまわしているようにも見えました。そういう意味で今年の「光る君へ」来年の「蔦屋重三郎」は今までにない試みだとは思いますが、今までのイメージの大河ドラマしか興味のない人は離れていくでしょう。実際に「韋駄天」の場合も明治以降のスポーツ史にさまざまな文化がつながっている様子が見られて興味深かったのですが、視聴率的には大変悪かったと言いています。アメリカへ行った理科の教諭からFacebookでグランドキャニオンの写真や動画が送られてきます。私の教え子の中には紀貫之の直系の子孫もいました。田沼意次松平定信の直系の子孫が同じ教室にいました。ちょうど田沼意次松平定信のそれぞれの子孫が同教室にいるいる偶然のなかで両者の経済政策を比較検討する授業ではかなり気を遣いました。

その一方、先日はアメリ先住民族のお祭りの動画が送られてきました。そこに「日本人のアイデンティティは何だろう」という言葉が添えてありました。

「文化史」を学ばないまま「日本人のアイデンティティー」を語れないで外国に派遣された時に、自分の国の文化を語れないビジネスマンや政治家でどうするのでしょう。その一方で英語教育はとても盛んにやっていて学校としての教育課程が大きく偏っていることを感じました。

また、文化史を挟んでいるからこそ歴史の十業がいきいきとするものだと思います。例えば、生類憐みの令と元禄文化化政文化天保の改革とつなげることで理解が進みます。

「歴史総合」の授業は4人の教師が担当しています太が、定期セエストで差がついてはいけないということで「穴埋め式プリント」学習をしていました。教科書を見ていればそれだけですべて埋められる代物です。そして定期テストマークシート70%、記述式30%(単に人名、歴史用語を答えるもの)とにかく手間を省こう。ということが先行してました。特に現代社会の課題を念頭に教育課程を作成すならばグローバル社会を念頭にするなら大航海時代を、また地球温暖化問題へつなげていく意識であれば産業革命を先頭にもってきてもいいと思います。ことあるごとに管理職から「評価」の言葉がかけられました。現代社会のような多様性が理解できないでいて日本の中に籠っていていいのでしょうか。「正解」が一つしかない教育を続けていてどういう生徒を育てたいのでしょうか。私はでできるだけ自分自身の意見を書き込むよなプリントつくりをして授業を進めていきたいのですが、生徒の求めるものは「答え」だけでした。

また、レポート提出の課題を出したところ、教科代表が飛んできて「そのレポートをどのように『評価』するのですか?説明を求められました。しかし、生徒たちはレポート提出の経験がなく、レポート提出に必要な項目は何か、レポートの内容の表現方法にはどんなものがあるのか全く知らなかったことです。

10月末の教科の打ち合わせで「日本の産業革命」の項目をやらないことになりました。民衆史を考えるうえで本当に省いていいものか?とても不思議な教科の運営ぶりでした。それにしても全体の進度が遅くないかどこまで授業をするのかもこの時点であいあいなままでした。

ある時、『日本史B』で「江戸時代の農業」の項目の際、地形図を用意して地図記号を確認させようとしたところ「地図記号」を学んだことがないと生徒たちに聞き、職員室に行き社会科の教員に確かめた途端、「あきらめてる」と返事をされました。数なくとも「地図記号」については中学地理では必須だと思います。等高線による起伏、土地利用図の作成の作業は基本的な作業であるにもかかわわらず、「暗記」させられて忘れてしまったというのが実態に思えます。私の場合は同じ正四角形の厚紙を渡し、それぞれに担当した地区の等高線に沿ってカッターで切り抜いたものを重ねていけば立体模型が完成します。少し遠回りのようでも「等高線」の理解は深まると思います。私の場合は文化祭の学級展示で「蓼科山」の地形図から見事な立体模型を作り上げて、次年度の自然教室に備えました。実際に自分たちが立体模型で作った道を上っていくのですから立派な事前学習になると思います。

これは中学校で京都自由行動の事前学習の際に学年の教科代表が平安京の地図を持ってきました。しかし、実際の京都の町割りは応仁の乱以降のものです。もしも用意するならばそういう歴史を学んだうえでの事前学習であった方がふさわしいと思います。例えば嵯峨野を散策させれば反対側の東山から複合扇状地が連なる様子が見えてきて、なぜそこに市街地が発展しているかを考えさせることができます。教師側に京都の「地形図」で作業することでより生徒への説明が活き活きすると思います。

これは社会科教師そのものの基本技能の低下を意味していないでしょうか。「京都という教材」を前にして、単に自由行動をさせてそれで「修学旅行」なのでしょうか。ここに理科の教科から地学的な観点からの見解を加えれば教科を超えた事前学習になります。もちろん「神社仏閣の来歴」を知ることも必要ですが、なぜそこに立地しているか理解できると見え方も違うと思います。

「ヨーロッパのビジネスマンは週に一回は美術館・博物館に行って審美眼を磨く」と言われています。例えば海外ビジネスの場で対等に話ができるのにそういう素養が必要ではないでしょうか。

例えば本物のレンブラントの「夜警」の前に立てば資料集ではわからなかったものが見えると思うのです。これは美術教育との連携ですが、「夜警」の描かれた時代的な背景をもつことでオダの独立ももっと意味を添えられます。また、音楽室に飾ってある作曲家の画像から作曲家たちの立場の違いや革命との関係がつながってくると思います。なぜそういう授業をしようと思わないのでしょうか。音楽科についてもただ楽譜をたどるだけの教科になるのでなく社会科側からバックアップできないでしょうか。

まず、こうしたことをしていくためには職員室内の空気の通りを良くしていくことが必要だと思います。

高等学校の授業で「中国革命」のところで魯迅の話を添えれば国語の現代文の学習につながるとおもって現代文の先生に解釈をもとめたところ「専門外なので…」と断られました。まるで教科がセクト化しているように見えました。

このように短い非常勤講師の生活でしたが現代の社会科教育の問題が明らかになりました。

ぜひ。そういう体験を次代の社会科教師にも伝える場が必要だと考えて「Kongohchi-Project」を立ち上げました。まず、とりかかるのは地形図の独図です。「読図研究会」を立ち上げます。ホームページを開設したのでうまく周知させて参加者を募っていきたいと考えています。

https://kongohchi-Project.jimdosite.com

kongohchi-1993sanpo@ozzio.jp

御社でも興味を持っていただければ、いろいろとご教授願いたいと思っています。