正論

本当にどこにでもいます。正論をぶつけてくる人。そんな風景見たな、と思ったら、浜中の一年目がそうでした。中心になって引っ張っていく先生の後ろから正論をぶつけていました。先生たちがいれかわるとともに、そういう光景もなくなりました。

しかし、正論言う先生は口だけ達者なら相手にならないのですが、それぞれにしっかりした実践されている場合、難しい対応にたたされます。日吉台の二年目、私は学年副主任として、これから修行が始まるぞ、と思ってましたし、できればある程度の時間が欲しいところでした。すると、私の足元から正論が出てきました。標的は私でした。どこでどういう評判を聞いてきたのかわかりませんが、わかることは私を生理的に好かない。と思いました。その夏休み、不慮の事故で学年主任が亡くなり、学年主任を継がなければならなくなった時、そこの亀裂が広がりました.学年の職員をまとめるのが、非常に困難になりました。

浜中時代に高橋先生から教えていただいてきたことは活かせない状態でした。学年職員としてまとまろう声がかけられませんでした。

そんな学年職員の雰囲気は生徒の不安につながります。そのまま厳しい2年間を過ごしました。

その次の学年からは進路主任となり、同じ学年の中にその方もいました。私の進路の事務を鼻から信用しない姿勢で次々と干渉されました。そして、3年間で日吉台を去りました。ただその間、バドミントン部でクラスで浮いてしまっているような生徒を担任からお願いされると快く引き受けていて、次第に私の立場は回復していきました。

同じような感覚を私は義妹に感じています。どこまでも自分が正しいというように見えます、

私を詰った後、私の診察日に私の治療をしているメンタルセンターに来て、診察室まで入ってきて、私の治療の様子を見て帰りました。どこから見ても上から目線でした。さこに障害を持って苦しんでいるのに、正論をぶつけられるのですが、言われている私にだって仕方がないのです。私のデイケア探しが始まるきっかけになりました。

世の中には割り切れないことはあります。