「明治維新」は「市民革命」ではない

「歴史総合」とい新しい社会科の科目に現在の社会科教師たちはどう対応しているのだろうか。

E.H.カーの言葉で「歴史とは現在と過去の対話である」というものはある。

現在、ガザやウクライナで起きていることを語れないで社会科教師といえるのだろうか。また温暖化問題など次の世代への課題は山積している先延ばしはできない。

しかし、現実の社会科教育はどうだったのか?ひたすら教科書の順番に沿って「通史的」な歴史の授業が続いている。

典型的な事例が「明治維新」の評価である。黒船来航以来、約10年間、江戸幕府は世界史的な展開の仲で大きなキーを握る位置にあった。イギリスをはじめとする列強の波にもまれつづけていた。次から次への難題と立ち向かわなければいけなかった。もしこの時代を学ぶとすると現在はそういう視点からの見直しが必要だろ思う。

そういう意味で「明治維新」とは何なのだろうか。今の日本政治を見て、不思議なことはないだろうか。総理大臣の出身のの一番多い県は山口県である。なぜなのか疑問に思わないのだろうか。「明治維新」は一般的には「御一新」として流布されたが、実際には「赤報隊事件」のような民衆の切り捨てを行っている。新政府成立後、すぐに出された「五榜の掲示」などは新政府の民衆への政治姿勢そのものだと思う。

そういう「明治維新」というものの「評価」の見直しもせず「維新」という政党名を使う政党があるが、私から見ると政党名のセンスそのものだけではなく、そこ政党を成立させている人々の隠された理念が垣間見える。非常に危険な政党であることを知らなければならないと思う。彼らの保つ国家像について検しないまま、自民党の次の受け皿として彼らを選んだときにどうなるか。真剣に見直すべきではないのだろうか。

確かに利益誘導型の自民党政治は破綻してきている。しかしもっと危険なものを選ぶ危険性を私は危惧しています。