結婚披露宴のサプライズ

私たち夫婦の結婚式は横浜公園を目の前にした郵便貯金ホールでした。会場選びは予算で決めました。横浜港を目の前にした素敵なロケーションでした。結婚披露宴の企画は岐阜に住んでいる大学時代の親友と連絡を取り合って進めました。仲人は亡くなった父の友人で裁判所に勤めている方です。私の方の主賓は校長先生。妻の主賓は職場の上司でした。また、私も妻も中学校時代の担任の先生に来ていただきました。私の担任はグイグイとクラスを引っ張ってくれる一方でいじめられっ子の私などいつも気を配ったもらっていました。先生から鉄棒の才能を見抜いていただいて体操部に誘われたのですが、体操部からはオリンピック代表選手の出るようなレベルの高い部活だったのでお断りしました。しかし、部活の後、私が鉄棒で遊んでいて大怪我をした時、すぐに家庭連絡をしてくれたおかげで、病院へ直行して手術できました。妻の担任は社会科の先生で当時、港北ニュータウンの開発に先立って遺跡調査が続いていて、授業中でも新しい発見のニュースが入ると出かけていってしまうような先生だったそうです。妻は勉強もできてとても真面目な生徒だったそうです。私の担任の先生は私が教員になったことを喜んでくれましたが、一方でいじめられっ子になっていないか、心配だったようです。妻の担任は私が同じ社会科の教員であることを喜びましたが、一方で、日本中世史専攻と聞いて史料が残されていない時代の研究は大変だけど頑張ってください。と励ましてくれました。私の友人代表は大学時代にお世話になったサークルの先輩で私たちの馴れ初めを披露しました。妻の友人代表は同じ役所(当時は労働省)の友人でした。BGMは私のピアノの先生が披露宴を通して生演奏していただいて、校長先生からは「金剛地くんにオ音楽科の授業をさせるのか不安があったけれどこれだけしっかりした先生について練習していたことがわかって安心した」とコメントをいただきました。披露宴も盛り上がってきたところで、初めて副担任として授業ではたくさんのいたずらを仕掛けてきた一方、自転車でいろいろなところへ行くのが大好きな生徒たちがいました。彼らは私が地形図を読めるのを知って、私が地形図を用意してこの場所に行くにはこの道は傾斜がきついとか、こういう景色になるとかアドバイスしていました。彼らも披露宴で挨拶したのですが、「夫婦は自転車の両輪のように…」と挨拶を始めたものだから爆笑されていました。その後、会場に私のクラスの生徒全員が入場してきました。仕掛けたのは私の幼馴染で同じ学校で養護教諭をしている方で、私のクラス全員を引率して来てくれました。一番手こずらせていた坊主頭の生徒が挨拶をして、合唱コンクールで歌った曲の合唱をしてくれました。これは私にとって全くのサプライズでした。

手作りですが大いに盛り上がった結婚披露宴になりました。

とにかく岐阜からわざわざ横浜まで来てくれて、つつがなく司会進行をしてくれた親友に感謝です。

その後、私の妹や従兄弟たちの結婚披露宴に招待されました。しかし、自分自身の結婚披露宴は忘れらません。

浜中バドミントン部の市大会優勝メンバーの一人である千恵残されて結婚披露宴に招待された時は千恵が体育館の窓から職員玄関から体育館に私が向かってくるのをみんなに知らせる役をやっていたことが明かされました。二次会では男子の第二ダブルスだった村山が私の年賀状が合唱コンクールでのクラスの写真だったエピソードを話して、こんな先生、後にも先にもいなかったと言ってくれました。

YouTubeでハラミちゃんを見ていたら、ご主人がお嫁さんとそのお母さんがハラミちゃんのファンだということで、ハラミちゃんに結婚披露宴にサプライズ演奏に来てくれないでしょうか、とお願いしたところ、それが実現して大盛り上がりした動画を見ました。結婚披露宴会場のグランドピアノで祝福の演奏ができるといいですね。

私もせっかくのピアノが本に埋まっています。いまさら掘り出すのは費用がかかるので、新しく電子ピアノを買って離れの2階に置いてしっかり練習してこれからも駅ピアノを続けたいとおもいます。何か機会があれば演奏できるレベルまで頑張ろうと思います。