先生の「残業代なし」変わるか

今日の朝日新聞の記事です。教員には他の公務員より給与水準は高いの出すが、残業代はありません。5時に帰ろうと、12時まで働こうと給与は同じです。

また、特別勤務手当として休日出勤は一日700円でした。(その後、1,100円になりました。)マクドナルドのアルバイト代に比べても何というかくさでしょう。それでも、私が末吉へ転任する時、管理職から県大会優勝を言われ、着任式の後も、保護者に囲まれて、最低玉関東大会出場をおねがいされた。夜の練習でもOBからも「金剛地先生なら大丈夫だ」と言われる。運動部の顧問たちからも期待の声が上がっている。一方で戦力はというと、シングルスはシングルスの中側が、県のベスト4クラス(.気力だけ)..ダブルスは県大会へ出ても2回戦がいいところ。あとは新入生次第。これでどうやって戦うか?春の合宿を見て、作戦は決まった。しかし、県大会当日までそれは心の中にしまって、それぞれの力を伸ばすことに専念することになった。すると、学級経営も授業経営も頭に入って来ない。まさしく本末転倒の事態だった。苦しい苦しい5ヶ月が終わって私はくらっししてしまった。この間、平日は朝6時の朝練から始まり、夜8時まで夜間練習。休日は大道中で合同練習。そして、おざなりになっていた学級経営も授業経営とくるってしまった。今更、立て直しの効かないところまで来てしまっていた。

 

今、夕食時にかつての教員時代のはなしをすると、妻の機嫌は悪くなる。特に部活動の話に及ぶとものすごく不機嫌になる。しょうがないだろう。教員時代の30年朝6時までに体育館で生徒を待ち受けられるように家を出る。夜帰るのは12時以降。この生活に残業代は付かなかっただけでなく精神を蝕み、身体を壊して最終的に救急搬送された時には血糖値が700。早期退職に追い込まれた。もちろん生徒には責任はない。自分自身が勝手に追い込まれて、壊れていった。しかし、家庭を全く顧みなかった日々のツケは大変に大きなものになってしまった。

特に部活動の負担はおおきすぎる。私の場合は中学校体育連盟のバドミントン専門部の役員の仕事はコンピュータ化したことにより仕事が集中してしまった。そういう仕組みを管理職に話しても理解してもらえなかった。同じ専門部の役員で負担の大きさには大きな違いがあった。そのことを知っているのは部長と一部の役員だけだった。

しかし、元はと言えばバドミントン協会が主導で大会運営をしてくれれば教員はこういう仕事から開放されるはずだと思う。日本のスポーツ行政は学校側に丸投げされている。これでは顧問のなり手がなくなっていくのは当然である。

そして、体調を崩し、精神障害を起こして退職することになったのは本末転倒である。そこには何の保障もないことに退職した時に気がついた。

特殊勤務手当一日1,100円なんて一般社会ではあり得ない話である。さらに大会運営のためのパソコン、プリンター、コピー用紙、通信費、遠征費用は全て自腹である。ぜひ、さまざまな人の意見を聞いてみたい。どれだけふざけた話であるか。