たった一日のため

日吉台を出された時に用意してあった学校は末吉だった。秋の県の団体戦で準優勝している。いつものように末吉の菅野先生は相手によってオーダーを変えて巧みに勝ち上がっていた。しかし、その団体戦のメンバーは末吉の生徒だけではなかった。旭区のNo.1シングルの岩切が一緒に戦っていた。保護者の団体戦を経験させたいという希望だった。しかし、周りはそのことを知らなかった。結局は三年生は3人。シングルスの中側は何とか使えるものの絶対的な強さはない。気力で頑張るタイプ。個人戦では関東大会まで持たない.そしてダブルス。合宿で見ていて頭を抱えてしまった。県大会へ進めればいいレベル。一応、2年生が1人いたがとても県大会を戦うレベルにない。しかもバドミントンに打ち込…でいない。あとは新入生を待つだけ。小野塚の妹が入ってくる予定だ。着任式当日、3年生の保護者がすぐに来た。「何とかバドミントンで成績を上げないと希望の進学先に行けない。」とお願いにきた。最初のプレッシャーである。バドミントン部の実情を知っていたがどうかはわからない。ただ期待値が高いことが理解できた。部活説明会では3年生3人と私が入ってダブルスの試合を実演した。途中で私が横っ飛びでレシーブした時。1年生から歓声何上がった。説明会が終わった後、体格の良い男子生徒が「先生、すげえな」と言いに来た」入学式が終わって、6時過ぎからバドミントン部の体育館練習が始まった。中側の姉や板垣も一緒だった。「先生が来てくれたら、何とかしてくれるのかな」彼らは中体連の試合や合宿で私の存在を知っている。しかし、彼らには大会中本部席から離れずパソコン打っていたことは知らなかったと思う。一年生に小野塚と横山が入った。小野塚は素晴らしいセンスの持ち主だが、横山はどこにでもいる程度だった。あとはズブの素人たち。

3年ダブルスはそのまま、中側もシングルス専念。第二ダブルスは小野塚・横山しかない。4月、5月の強化練習会は2部リーグの2位をキープしていた。各地のオープン戦も一切オーダーに手をつけなかった。前任の菅野先生は魔法のように相手によりオーダーを変えていたが、私はオーダーを変えなかった。休みの日は大道中でみっちりパターン練習をくりかえした。夜の練習も保護者がずっとスパーリングパタートナーになってもらっていた。

すべては1日だけに賭けていた。

横浜市大会ベスト4決めで中山中に敗れた。生徒たちの我慢も限界に来ていた。菅野先生に練習してもらいたい。というたので菅野先生に忙しい中、何とか半日練習させてもらった。

県大会の抽選会。末吉は川崎1位のシード下に潜り込んだ。相手の副顧問が動揺して出張中の顧問に「金剛地先生が下に入ってしまいま」した」と連絡していた.

県大会初日はそのままのオーダーだった。翌日、いつものような一番乗りする前に中側姉がリポビタンDを用意してくれたので全員一本ずつ飲んだ。2回戦は川崎1位の学校だ。これまでずっと接戦を繰り返している。相手の副顧問は末吉がどう出るか読めないでいた。そこて初めてオーダーを入れ替えた。3年生たちはやっと解放された気持ちで試合に臨んだ。快勝だった。しかし、これから一つも落とせない試合が続く。特にシングルスの負担は言いようもない。しかし、私は1日だけ保ってくれと祈るだけだった。準決勝。相手は東鴨居です。横浜を1位で通過して聞きました。シングルスの力は普段は相手の方が上です。私は相手の顧問を見てました。普通に戦えば叶う相手ではありません。しかし、中側の消耗度を考えると、この準決勝に勝たなけば3位決定戦は勝てないと思ってました。5人全てがジュニア出身で穴はありません。しかし、私は躊躇なく2回戦からのオーダーをだしました。中側もその意味はよくわかっています。死に物狂いで戦え、という意味です。ダブルスを同じです。もしも相手が入れ替えていたとしても、ここで決めてもらうしかないのです。必死のラリーが続きました。1年生ダブルスも成長していて簡単に試合を決めささません。力の差は歴然とあるので敗れはしましたが、しっかりと中側に繋ぎました。シングルスも粘り合いの試合になりました。長いラリーの連続です。長い試合になりました。そして、相手が根負けしました。最後のダブルス勝負。

よく自分のチームのシングルスが強いとダブルスを入れ替えて勝ちを拾うチームがあります。しかし、そういうチームは最終的に勝てません。第一ダブルスが常に痺れる試合の経験を積ませてきました。彼女らは1点の怖さを知ってます。。負けることがおおかったです。先生!オーダーを入れ替えて下さい。と何度も言われました。そうすれば勝てるのに、相手の顧問は私の出方ばかり伺っています。試合は勢いです。ダブルスも踏ん張りきりました。関東大会出場を決めました。

しかし、中側がもう戦える力は残ったません。決勝も同じオーダーでしたが、通用しませんでした。

県大会が終わって関東大会への練習がはじまりました。たまたま半日しか体育館が使えないので5人で横濱家でラーメンと餃子で盛り上がった。

菅野先生からもすべてひっくりかえしたんだって。と、驚かれていた。

関東大会直前合宿。団体決勝の再戦をやることに隠していたスペシャルオーダーで戦った.1年間、団体様も個人戦も一度も負けたことのないチームはショックをうけ、本部の私の前でボロボロ泣きじゃくった。1年間本部席でパソコンを打ちながら観察していた結果です。関東大会は思い出作りの大会にしました。そんな長い期間ではなかったけれど心身共に限界でした。もう二度とこんな賭けをしなくない。

そう思っていました。

 

 

 

 

、むた