私の最初のクラス

初めてのクラスはお世辞にもうまくいかなかった。男子たちは悪戯ばかり。女子の中かなりの悪戯者がいた。にクラスて一番弱い男の子の後ろの席の時に後ろからカッターナイフで背中に切りつける時間があった当時の生活指導係の先生は私にその女子生徒を叩きなさい、と言われ平手で叩きました。そんなこんなで自分からの気持ちがこのクラスの生徒に届いているか?ずっと自信が持たなかったです。終了式の日、学級委員だった女子生徒が職員室まで来て泣いていたけれど、私はこの生徒たちになにをできたのだろうか、自問自答していた。次の年から特殊学級の担任も決まっていた。修了式後、まもなく結婚式が控えていた。その結婚披露宴に私の幼馴染の養護の先生がクラス全員を引率して来てくれて、合唱コンクールで歌った自由曲を私のピアノの恩師の伴奏で歌って拍手の中を退場して行った。生徒たちもそういう場所に列席できたことに興奮していた。

 

2年生の時、披露宴で挨拶文を読んでくれた生徒が暴走族に入り、間も無く電柱に正面衝突して亡くなった。

彼らの3年生の球技大会の日は前の日からの大雪だった。グラウンドを見ると1人のチャンチャンコを着た女子生徒が一人で雪かきをしていた。一年生の時、背中にカッターで傷をつけた生徒だった。

私にとって特殊学級の担任は普通学級で通用しない、という思いだけを残した。

転勤することになった時に人工透析を13ネン続けてきた母の容体が悪くなってなくなってしまった。転換やら母の葬儀で混乱していた。

そんな時、組合のレク担当していた。幼馴染の養護の先生が朝の打ち合わせで「今日のレクは中止して、金剛地先生に哀悼の意を示しましょう」と呼びかけてくれたそうだ。葬儀の芳名者名簿を見返すと最初のクラスの生徒たちの名前がたくさん記入してあった。