宿泊行事の手柄話

同窓会の席で話題になるのは先生たちの目をかいくぐっていかに、さまざまな行動をしたか、手柄話が話題になる。元教員としてあまり聞きたくない話題です。私は駆け出しの頃、先輩の先生からお前も子供の親だろ!無事に帰ってくることがあまり前なんだ。まして男女で何かあればどうする。お前の大切な娘にもし何かあったらどうする。と厳しく指導されました。

最初に遭遇したのは女子生徒が一人行方不明になったじあんです。別の部屋も探しました。窓から転落したのではないかと、旅館の周囲を探しました。友達とトラブルがあって横浜へ帰ろうとしたのではないかと京都駅に向かいました.旅館に連絡すると見つかったということで安堵しました。男子の部屋の押し入れでスヤスヤ寝ていたそうです。

宿泊行事は無事に帰って当たり前.何かあったら大変なことなのです。

私が学年主任をしている学年の修学旅行では下見の段階で前任者が修学旅行のような団体客を迎えた経験のない旅館が選んでいました。旅館側はお皿の準備をどうしようとか、などの心配されていました。

気になったのは各部屋に日差しがあったことです。彼らは日時や生活でも日差しを伝って教室を移動して来た生徒たちです。私が赴任してくる前に宿の選定がされてました。先輩たちの行動様式から彼らが3年生になってどんなに修学旅行になるかは想像できなかったのでしょうか。行事担当ならそういうことも頭に入れて宿の選定をしてほしいと思います。

本当に旅先で万が一のことがないとは言えません。

その修学旅行の初日、クラスの生徒が同じクラスの生徒に暴力を振るったことが駅のホームの画像見てに写っていて、間違いなく。私のクラス内の出来事です。

校長は翌日、問題を抱えた生徒たちのほとんどを私に引率させることで一般生徒の身を守る判断をしました。かなり難しい引率でした。ほぼ一日中神経を張り巡らせました。京都の押さえておきたい文化財はとりあえず見学できたと思います。しかし、私が引率することに生徒たちもストレスを感じていたと思います。彼らは夜、動くはず。

先生方がモグラ叩きをしています。しかし、彼らは尻尾を出しません。宿舎から連絡がありました。日差し伝いに動いている生徒が見える。私は全体を掴むためな大浴場の外で見張ってました。彼らの動きは一目瞭然でした。そして、ほぼ各部屋の電気が消える中で一部屋煌々と電気がついていました。すぐに階段を駆け上がり、その部屋にとびこみました。男女20人近くがくんずほぐれすの状態でした。すぐにロビーへ移動させました。そこで私の携帯で深夜でもすぐに各家庭へ連絡を取りました。

 

その後、その中の男子生徒たちが文化祭の時、警備が甘いと私が感じた昇降口へ向かうと木刀を持って取り囲みました。「金剛地、お前がいるから…」乱闘は避けなければいけない。私のクラスの生徒が学年の頭を張っている。彼をじっと見ました。そこからは目が逸らさない体制が続きます。10分間は睨み合いました。一つ間違えばお互いに大変な事態に彼らを加害者にしてはいけません。絶対、てをだせない。彼の目を見ていると、最初はヘラヘラしていましたが、自分たち自身もどういう状況にいるかを次第にわかってきて、手を出したら、やばいとわかってきたのかもしれません。誰か来てくれれば、なんて、考える隙もありません。ひたすら冷静さを保ちました。そして、偶然、音楽室に向かっていた先生がその光景を目にして、すぐに職員室へ通報して、職員室から先生方が飛び出してきましたが、彼らは蜘蛛の子を散らすように跡形もなくいなくなりました。

最初は修学旅行の際のつもりでちょっと脅そうとしていただけかもしれません。しかし、学年の大半の問題を抱えた生徒の大半が私のクラスに集められるという学級編成です。そういう体制だったから、乗り切れたのかもしれません。しかし、このケースは極端なケースに見えますが、やはり教員側の見通しの甘さがこういう失態になってしまったと思います。

 

本当に宿泊行事にあたって行事担当になると命を預かっている覚悟が教師側には必要です。

自然教室で蓼科山登山を企画した時は一年生でクラスの学級発表です蓼科山の立体模型を作り、いてもらいました。君たちは来年、この山に挑戦する。という意味を込めてました。

キャンプファイヤーのエールマスターに向けて横浜市のレクリエーション協会のキャンプファイヤーに参加しました.自然と触れ合うためにネイチャーゲームの実習に子どもの国で2泊3日で参加しました。そして、蓼科山の下見の登山を何度も繰り返しました。それでも実施にあたって前の日から眠れず、蓼科山の頂上を眺めていました。天気予報など情報を集めて、学年主任の先生に決行をつげました。サッカー部の先生が先陣で引っ張ってもらいました。あまり登山の経験がなく遅れてしまう可能性のある先生たちは先に上がってもらいました。殿は柔道部の先生と水泳部の先生。私は中盤で前にも後ろにも行ける体制でした。

学年全員を頂上まで登らせたい。と思っていましたが、帰宅部で体重の重い子何途中で止まってしまいました。柔道部の先生が駆けつけて、その生徒を背負った「金剛地、大丈夫だ、馬の背まで連れて行く。お前は頂上で指揮を取れ。」と言われ、頂上へ急ぎました。その日の蓼科山は快晴、八ヶ岳の主峰赤岳が正面に見えます。生徒たちに一つ一つの山を指摘したくなりますが、私は一番先頭で下山して、生徒全員を迎えるとともに、キャンプファイヤーの準備に取り掛かりました。

それまでずっとエールマスターをこなしてくれた先生に代わって自分なりのキャンプファイヤーはうまくいくだろうか、緊張してました。前回は自分のクラスは「マイッチング マチコ」で爆笑を誘いました。しかし、今度は自分のクラスの出し物も、生徒に任せたままでした。シメの歌は坂本九の「見上げてごらん」なにしました。そして、ホテルが粋な計らいでお風呂をもう一度沸かしてくれました。それを生徒たちに告げると、生徒たちは大喜びでした。

疲れ切った生徒たちはよく寝てました。

朝、起床の時間、私はビデオカメラを持って、寝起きの男子部屋を襲いました。みんな大騒ぎしながらいい顔してました。「先生、女子の部屋は行かないの」と言ってきましたが、「それはさすがにまずいだろ」と答えました。