鈴木ノブ先生、伊藤先生

ノブ先生とは10年間のでした。とにかく曲がったことは許さない。コンピュータも堪能でいろいろ教えてもらいました。時間表作りは名人芸で他の学校からの依頼もたくさん抱えてました。横浜市で一番たくさんの時間表を作ったと豪語していました。

サッカー部の顧問として、前任校で育て生徒が日本代表の背番号10をつけた試合は興奮してました。浜中でも素晴らしいチーム・選手を次々と送り出しました。学校事情で私たちの学年に入ってくる際は今まで中心だった先生と衝突する中で私が3年1組担任となりました。次の3年間は「飛鳥修学旅行」も考えを説明して、納得していただき、光明先生と学年の前後を固めてくれました。

でも、私の脇が甘い時は叱ってくれました。

伊藤先生は私が休職中に転任してきました。それまで荒れる浜中の防波堤になり身体を張った生徒指導はこういうものなものなのかと教えてもらいました。柔道部の木下先生と伊藤先生は「顔面暴力」と呼ばれていました。数々の武勇伝を聞きました。

しかし、その一方で私が「関白宣言」を歌っている時に、「俺は浮気はしない」というところで「俺もそうだ」というので私たち若いのが嘘だあ、とやると「全部、本気だ」と答えるので爆笑してしまいました。

地理を1年間持っていただくことになりました。どんな授業をされるのか、と思っていると、パスポートを用意して、海外旅行へ行くにはこれだけなら物が必要だ、という授業から入り、とっても発想が豊かでした.

私が特別活動指導部長として、次々と手を打っていく時、いつも影でサポートしてくれていました。

私が体罰事件で追い詰められている時、教育委員会と何度も足を運び、書類を作成して援護してくれました。一方、頑張ってくれている生徒会の取材にTVKをお膳立てしてくれました。