卒業式へ

3年間の記録は英輝先生と放送部が一つの保管庫いっぱいになるほど撮りためていた。今まで英輝先生に任せたままだったが、英輝先生が結婚を控えて深夜の職員室は私一人になった。本当に膨大な作業なのだが入学式からはじまって、3年間のビデオを見返していた。修学旅行の嵯峨野散策の映像で学年全員がニコニコしながら歩いているのは涙しました。やれるだけのことはした。3年間、何もなかったわけではない、バドミントン部でS君への体罰事件、伊藤先生が何度も教育委員会にかけあってくれている。由美の身体の変調も私は気が付かなかったが大変難しい状況で、黒川先生が、サポートしてくれることとなつた。

私はこの3年生とともに浜中を去ることを決めていた.バドミントン部は内田先生がいらっしゃる。

この3年間の行事のデータをそっくりそのまま私のフロッピーから英輝先生のMDにそのままコピーした。後で、英輝先生に聞くと、私のデータは上書きの繰り返しで結局、すべてのデータをプリントアウトする羽目になったそうだ。

3年生を送る会は転任したばかりだが、やる気がいつぱいの先生に任せた。私は深夜、放送室に篭った.3年間の思い出ビデオの作成に取り組んだ。誰もサポートする人はなかったが、ビデオは学年の3年間の思い出がいっぱいで胸はいっぱいだった。次から次へと場面があって、カットできないでメリハリの

ないビデオになってしまった。そんなビデオなのに、卒業前の学年集会で流して、生徒たちから拍手がもらえてとてもうれしかったです。しかし、クラスで二人、進路がみてちのままだった。

3年生を送る会は私の発想を遥かに超えたものだった。3年生一人一人が主役という怖さはなのだが、私は新体操部の部長と宝塚を目指す二人に丸投げして、曲は「王様のレストラン」にしてくれ、と

頼んだまま残務整理をしていた。私のクラスは無難に終わった.その後、黒川先生のクラスが一人一人が前に出て得意技を披露して、席について行った。電波は頭に悪いえいきたった1年間しか学年はご一緒でした。私が携帯を駆使して仕事をしていると、電波は悪い影響があるのよ。と注意されました。もう一年ご一緒すれば、もっと吸収できることがあったかもしれません。新入生の聞き取りから先生方がかえつてきて、小学校でかなり手を焼いた生徒がいる。という報告に黒川先生、山田先生は「中学校の教師がどんなものか、教えてやる」と気を引き締めていました。

英輝のクラスが号令とともに体育館内にちらばり、純子が一直線に私の元に来て壇上に引っ張り上げた時、それが3年間で一番思い出に残った人として私のところに飛び込んできてくれたことはとても嬉しかったし、恥ずかしさった。

浜中の生徒会活動について、TVKが取材に来ました。PTAのお歴々が後ろで見守る中で生徒会長は素晴らしい話をして、大人たちから感嘆の声があがりました。そして、仕掛け人の伊藤先生が「こんちゃん行けよ」と言われて、生徒会について.私の持論の、生活指導と特別活動指導の連携が大切ですと話しました。ご歴々は先生の言ってることはよくわからない。こどものほうが立派だ」と言われてしまいました。私の表現力がいかに乏しいかわかるエピソードです。だから50分の思い出ビデオの作成をしました。私のどんな話よりも3年間の生徒の笑顔の映像の方がいいと思いました。

一、ニ年生が会場を整備してくれました。放送室で英輝先生も準備が終わったようです。

私はおもむろにピアノの蓋を開けて、鍵盤にむかいます.例年。、「あすにかける橋」を弾いて終わりですが。この年はショパンの「別れの曲」を弾きました。

卒業式も無事おわりました。

職員室にもどると、校長に呼ばれ、校長室に入ると、新しいPTA会長を紹介してされました。「娘が金剛地先生と英輝先生のコンビが大好きだったんですよ」と言ってもらいました.

 

職員の見送りの時、この年ソフトボール部の顧問としてやってきた先生から「今日まで金剛地の浜中」とよばれてました。来年からは私が代わりますよ。と挨拶してくれました。おこがましい話です。確かに10年前には警察まで導入して立て篭もる生徒を排除した歴史がある学校です。私自身もあまりにもひどいいたずら電話に悩まされ休職に追い込まれた学校です。しかし、木下先生、伊藤先生をはじめ生活指導部がリーダーシップを発揮して、、学校は落ち着いていきました。また、島津先生たちのおかげで部活の風通しが良くなりました.戸崎先生は何度もリーダーなら育成のための試みを続けていました。

ただ私は文化祭を通じて学校全体のまとまり作りを進めました。生徒会活動については少し独特な考え方を導入しました。

学年は高橋先生を中心に穏やかにまとまっています。4年間私の隣の席に笑顔で相談になってくれた石井先生.合唱コンクールでがくねんせんたいの目標となり引っ張ってくれた山田先生。進路の時にも、こんな方法もあるとアドバイスをもらってました。 生活指導で問題を抱えていゆ私をバックアップしてくれる伊藤先生。進路指導でおせわになった剣道部の鈴木先生。おっちょこちょいで人一倍思いが強い原先生。前の学年から一緒だったけれど、高橋先生のアドバイスを聞いて努力してました。それから尊敬する新体操部の顧問の先生.ちょうど定年にあたり、心のこもった卒業生名簿を書き上げてくれました。そして、学年の最初と最後に光明先生。ノブ先生。最後に最高の相棒、英輝先生。よく、高橋先生から言われました。学年主任の仕事はどう人材をあつめるのかだ、と。歴代の教務主任の先生方からも可愛がられました.社会科がら人員が足りず、臨時任用の、先生にきていただいてむしたが、私の授業や試験を理解しようとがんばってくれました。いつも月間予定を、作る時、こういう日程を組みたいのですが、とお願いして、学校全体の行事のあり方を、勉強しました。

すごい恵まれた学年でした。修学旅行で「飛鳥」と提案した時、全員一致でバックアップしてくらました。

最後に学年の生徒たちよくついてきました。いつもヨネックスばかり着ていて、何の教科がわからない私に美術部がかわいい似顔絵を、描いてくれた絵は食器棚で笑顔の私がいます。