デニーズ党

夜9時も過ぎればお腹が減ります。そんな時、「じゃ、行くか!」の声で第二京浜沿いのデニーズの駐車場に車が並びます.次々に注文して山のようにピザやパスタ、ハンバーグなど並んでいきます。すごい食欲です。そして、ひといきつくと、今日のお前の授業はなんだ。とか、お前はこういうことわかるか?次々に追求されていきます。お酒は一滴も入ってませんがすごい騒ぎです。しかし、そこで自分の足りない知識や判断を遠慮なくぶつけられていました。素晴らしい新人教育でした。明日の授業でこうしたい。といえば次の日の反省の俎上に上げられます。2時間程度激論が交わされた後、全員、車に分乗して第二京浜をぶっ飛ばします。その後、16号線に行く車もあれば鎌倉街道へ行く車もあります。

私の車には養護の先生が載っています。実は私と養護の先生は同じ中学校、同じ部活の幼馴染です。いつも朝も帰りも一緒でした。

私が音楽科、普通学級をクビになって特別学級担任になると隣の部屋同士でした。私が特別学級担任になると同時に入学してきたサイトが重度の自閉症で言葉がありません。それでも彼もストレスが溜まります。いきなりすごい力で私の腕に噛みつきました。けっこう深い傷で出血した途端、彼は「救急車、救急」と叫び、保健室へ私を連れて行って薬品棚を指差して「山之内製薬のマキュロン」と叫んで養護の先生に私の手当をするようにお願いするのです。

こうしたニュースは翌日には全校に知られます。発信源は私です。私は特別学級担任になっても資格も教育もないものですから独学で手当たり次第本を読み、学級の名前のひまわり級から「ひまわり通信」が毎朝、先生方の机に配りました。すると、先輩の先生方が

ひまわり級へ顔を出して、いろいろなアドバイスをしてくれました.そして、夜、デニーズてひまわり級をどうすればいいかさまざまな議論がされました。

本当は「通級」というものが必要だとされていましたが、彼が普通学級へ通級する意味があるの?ということになっていって、最後は私はあきじかんなし、ずーっとクラスについている状態でした。

次の年、ダウン症の女子生徒何入ってきました。そこでひと騒動起きました。この生徒は生理が来たことがなくて、そろそろそういう時期が来ているようで、その子の生理が来た時、私がどうするか教えるの?大問題発生です。

すると養護の先生が、私に任せておいて!と手伝いにはいってくれました。全学年で39個クラスの養護の先生をしながら私のクラスの面倒も見てくれるようになりました。

ひまわり級にはなぜか長椅子と、コーヒーメーカーがありました。特別学級を立ち上げてくれた専任の置き土産です。すると、空き時間の先生が顔を出してひまわり9の生徒たちにいろいろなことを教えて身体のですが。

なんと、先生方がクラスに顔を出すとひまわり級

の生徒たちはコーヒーメーカーでコーヒーを入れてサービスするようになってしまいました。なんという教育成果でしょう。校長に知られなら「バカモン!」と怒られるような状況でしたが、技術科の先生が小屋を作ってくれてウサギを飼いました。

雪の日は私は福祉委員会担当だったのですが、全学級の福祉委員による雪かき作業。ひまわり級も雪かき作業に参加して1時間目が終わる時にはすでに中庭の雪は無くなってました。

余談…ある生徒が2.26事件の2つの写真を持ってきて、片方は雪がいっぱい積もってる。片方は雪が消えている。先生、これ説明して!そこで3.26事件をしらべねみると、事件の起きたのは2.26だけど解決するまで1週間かかっていることがわかりました.生徒の質問は大切ですね。