ひまわり級

特別学級担任としてクラス名を「ひまわり級」と名付けた理由は、当時の私の愛読書は、プロレス漫画の「一二の三四郎」です。なんといってもその道場の所在が鶴見であることが明白だった。例えば、ランニングコースは三ツ池公園。そらぁ寺尾中バドミントン部もいつも三ツ池公園で練習してますから、コースは頭に入ってます。そして、三四郎たちが入る銭湯が豊岡商店街という設定!もう間違いなし!

作中の道場が「ひまわり保育園」の中にあるという設定。なんという偶然!

こうして始まった特別学級ですが、とにかくわからないことだらけ、「自閉症」ってなに?「ダウン症」ってなに?私の武器は音楽。朝から元気に歌おう!最初は「一本でもニンジン」からスタート。続いてイルカメドレー。とにかく声を出させること。最初の自閉症の生徒も言葉が全くないわけではないことがわかり、和文タイプライターを購入して始めてみると、「山之内製薬のマキュロン」を連発し始めた。

技術科の先生が花壇に小屋を作ってくれたこと機会にウサギを飼った。毎日のフンの掃除は大変だけど、フンは肥料にできるかな?と花壇に蒔いた。

ひまわり級へはさまざまな先生が顔を出してくれた。いろいろとアドバイスをいただいた。本業の社会科から離れながらも社会科の近藤先生が読図研究所に連れて行ってくれてことで漆間先生に会って直接指導を受け続けられて、私は暇があれば土地利用図を作成しては漆間先生からそれから何が読み取れるかを熱心に教えていただいたことがのちに社会科研究会で巡検講師をやる時に力になったことは間違いない.、浜のあの蓼科山の立体模型作りもこの時の力だと思う。純子も加世子も気がつかなかっただろう。多分あのクラスの生徒たちはわかってなかったと思うけれど.あれを横浜市社会科研究会の先生方が見た時の驚き.見せてみたかった。あの時に書きまくった土地利用図の量だけ私の社会科の力を蓄積する時間になっていた。あの時間に蓄積できた時間が私の社会科教師の実力です。正直に言います。社会科教師としても漆間先生門下として最高でありたい。私の後の直井先生など優れた先生がいる、正直、私もブランクがある.彼が羨ましいのは網野善彦先生門下であること。話をしていても素晴らしい発想.これが網野善彦門下の凄さなのだろう。嫉妬した。とにかく社会科は負けたくなかった.