薩長史観からの脱却

私が小学1年生で手に取ったのは司馬遼太郎の「新書 太閤記」でした。小学1年にはかなり難解なシロモノですが、私の手にした本は全ての漢字にルビが振ってあって何とか読めてしまったのが、今考えると運の尽きでした。最終的に「坂の上の雲」まで小学生の段階で読み進めてしまっていました。司馬遼太郎の小説はとても読みやすく、細かいところまでよく書けていると思ってました。大河ドラマも「竜馬が行く」からはまってしまいました。北大路欣也の竜馬、高橋秀樹武市半平太。映像を見ながら納得して行きました。その後も司馬遼太郎原作の大河は「花神」など本当に説得力を感じながな見てきました。そういう素地の上にさらに中国の古典「三国志」「水滸伝」などを次々と読んでいきました。そういう長編歴史小説にどんどん染まっていきました。それが中学・高校の授業で裏付けられてしまったのです。それを認められてしまいました。

 

「お前の勉強したことは講談だ」

 

そう指摘して、古文書の原本をテーブルに広げられて読めませんでした。その出会いが無ければ、きっと私は単なる歴史好きで終わって、多分授業も楽しい講談調でやっていたかもしれません。しかし、社会科教師が生徒に伝えるのは科学的な歴史を伝えることが使命です。どんなに楽しそうに授業をしていても科学的な裏付けのない授業は許されないのです。他教科の先生が聞きかじった歴史話をしているのと違って、私は「プロの社会科教師」です。今でも…。

 

かつて、ある学校で進学塾上がりの若い先生が授業をしているのを拝見しました。まつたくの講談てした。アマチュアでした。進学塾では受験勉強を終わったばかりのひよっこたちが「授業」してます。採用もそうしたひょっこたちが優先です。一回でも私に模擬授業をさせませんでした。それは塾の講師を私は凌駕できる授業力は持っています。たぶん今ではさらに力を上げています。心理学というもう一つの武器も手にいれました。認定心理士はそんな甘い資格ではありません。

私が64歳から再び就職活動をした時、進学塾も選択肢の中に入ってました。私の目的は「教科書を疑え」でした。

私は横浜市中学校社会科研究会の講師をやったり、教科書検定前の白表紙本の校正も行っていました。当時の生徒からはぶっ飛んだ授業と言われてました。今でもそう思っている教え子が大部分だと思います。しかし、私は結構マジの授業だったのです。常に新しい学説を検討し、どう活かしていけるかを試行錯誤して授業をしていました。

 

しかし、一番の悩みは教科書の中身が変わらないのです。権威のある先生に原稿を書かれてしまったことを覆すだけの力はありませんでした。それがプリント学習を、進めた理由です。一つのプリントを作成するにあたってはかなりの量の専門書にあたってます。映像作品の利用もよく作品を検討して、ここ、いう部分を見せてきたつもりです。どんなふうに見えていたのだろうね。なぜ公民の最初の授業で婚姻届を書かなければいけなかったのだろう。バナナのシールを集めたのだろう。地図記号の理由は理解できていただろうか。鎌倉政権の誕生をたくさんの選択肢から考えさせたのは何のため。一つ一つの授業に含ませるものがあったのです。そんな中で厄介だったのは世に蔓延る司馬遼太郎史観・.薩長史観からの脱却でした。それに代わる歴史観でどう授業していくか、裏付けがきびしかったのです。

それが客観的に見えるのが日本の歴代の総理大臣がなぜ山口県出身者が多いことです。何故か考えたことはありますか?さかのぼると何故、戊辰戦争が必要だったのですか?本当に必要だったのですか?

最近は幕末史の新解釈もTVでも見られるようになりました。それでも日本の権力構造がかわるどころか本当に生き辛い世の中は進んでいます。

 

先日、私が年金事務所とやり合ったら時、私は苦境に立たされていたのです。お客様相談室長と名乗る事務官が出ました。その冷酷な物言い。たぶん忘れないと思います。しかし、そこを動かす手段は打ちました。彼らの弱点は私も教育公務員でしたからよくやられましたので…。