続々 現代史が疎かになる…

高等学校の教育課程を見ていても、教科書さえも終わらないし、せめて格差社会表現の自由の抑制など社会が後退していることを感じる。年配の方は「昔は良かった」というが、検証しなければいけないはずです。本当は教科書だけでも足りないのです。では遡ればいい、という発想もあるが、生徒は混乱する。「地政学」類の本も本屋では売れているが、中学校、高等学校の教科書が生まれ変わらなければ解決にいたらないと思います。歴史学もそこからもう抜け出せないところまで来ていると思います。

教科書になければ授業できないでは困りませんか?教師自身が常にアンテナを張って、さまざまな意見に接することで、子どもはの疑問に受けて立てるだけの教材研究を行う。自分の意見をぶつけた上で議論する。また、逆のケースがあります。生徒に自分自身の手で議論を始めるきっかけづくりをするのが私の役目ではないでしょうか。

1789年以前の歴史を冒涜しているわけではなく、現在から過去を見る眼は育てたいと思います。ただいかんせん、中学校、高等学校の教科書の分量の少なさ、もっと分厚いものを作り、自分の好きな分野を自分で見つける.そのいう考え方が必要なのではないですか?分厚い教科書は学校に置いていっていい。持ち歩きは前提としない。

薄っぺらい教科書から生まれるのは薄っぺらい授業です、特に高等学校の授業はもっと踏み込まないと大学での学習との大きな格差を生んでしまいます。そして、その大学での授業も最近はレベルが落ちていると聞いたいます。大学での基礎教養で掘り下げないと、バランスの良い大学生は育たないと思います。私は授業で大学合格がゴールでなくすたーとだぞ。と高校生に言っています。退職前に新卒の社会科教員の授業を覗きました。正直こりゃダメだと思いました。まったく歴史観も何もあったものでさなく、進学塾の講師の時に作ったお粗末なカードを読み上げるばかりでした。私の心身があまりにも不調だったため、指導する気力も湧きませんでした。

世の中クイズが流行ってます。それは本当の学問にはつながるものではありません。神田伯山さんなどプロの講談師は別として、教師は講談師の真似をしてもしょうがないのです。私も司馬遼太郎の読み過ぎで、講談調の授業になりかねないところを大学の講師に首根っこつかまれて、歴史学の世界へ行けなかったでしょう。研究会の先輩が雀荘に入り浸っていたり、大学院の試験を受けた先輩が蒙古襲来について基礎的にわかっていなかった。そういう大学生の再生産。ビジネスの世界で通用しない社会人の再生産。博物館のガイドをしていて、年配者の中には博士号を取得した方もいますが、それはごく稀で、マニュアル通りの説明で、その人個人の味のあるガイドの方が少なかったです。年配の尊敬できるガイドの方も去年、90歳を超えて引退されました。常々、テープレコーダーで済むようなガイドはするなよ。と教えられていました.私なりに「教えないガイド」の実践をしてきました。マニュアル通りにガイドするのでなくお客様一人一人が自分自身で感じたことを大切にするガイドです。時間はきちんとまもってます。ただ他のガイドの方からは金剛地さんのガイドは難しすぎる。と酷評されてました。

最初に戻ります。社会科も感受性を磨かないとどんどんおくれていきます。あるクイズ番組の出演者が次々と回答していくのですが、せっかく受験勉強で得たものを「消費」しているようにかんじてしかたがない。

NHKEテレで「ニュー試」という番組をやっている。世界でどんな人間が必要とされているか、そんな番組もチェックしてもらいたい。