現代史がおざなりになる。

今、地球上で1769年以降の歴史だけ教えておけばいいのではないか。

そこまでの歴史教科書はやらない。くらいの覚悟しなければ、もう平成・.令和の時代に付いて来ることば叶わないと思います。そのくらい、今は複雑怪奇です。それこそ地球儀が頭に浮かぶくらいの修行が必要になってきていませんか?本当にそのくらいの分量が待っています。想像して下さい、一万年後の教科書の厚さはどうなるか。それこそどれだけ削れるか。それが教師の腕の見せどころになります。

人類の誕生。こだわっていられますか?摂関政治を理解する必要がありますか?確かに山川出版社の日本史教科書を最初からやっていく意味がありますか。しかもこの伝統ある教科書ですら、「55年体制」の崩壊で終わってます。「失われた20年」「安倍一強」の理解なく日本の歴史を語れますか?

私はゴミ清掃の仕事をしていて、分別ができない世代にぶつかりました。学校から一斉に焼却炉がなくなったのをおぼえてますか?理由を聞きませんでしたか?私の経験は強烈です。私がバドミントン専門部の書記になったきっかけが、用務員さんが大会トーナメントを焼いちゃった事件で呼び出された。いつも自分のチームのデータや他チームのデータを書き込んだ分厚いファイルを持ち歩いていました。そこに目をつけられて、専門部入りしたのです。決してバドミントンの経験はあるありませんでした。それからバドミントン記録のPC化を始めました。TVではベトくんボクくんの写真が出ていました。「枯葉剤」「ダイオキシン」、当時の人たちは神経を尖らせた言葉です。「夢の島」なんておぼえてますか?

私は60年安保の頃羽田に住んでいて夜、デモ隊が羽田空港へデモ行進していく物音を聞いて育ってました。デモ隊はどうやって羽田に向かってきたのですか?まさかゲバ棒持って、ヘルメットかぶって、石はどこで調達するのですか。羽田の現地民だったら、彼らの手口は子供でも知ってます。「現地調達」です。空港線の中、大鳥居駅を降りた瞬間、その作業は行われます。ドライバー一本でOKです。京浜急行は吊り革の下がっているバーをステンレスで成型してしまい、レールの下はコンクリートで固めました。目の前で見てました。安田講堂の様子がTVに映ってますが、私にはこうした歴史の証言者です。こういうことは流石に授業で話せませんが、どこかで伝えておきたいと思ってます。それこそ「史実」です。そういう環境で育った結果、70年安保

後、新宿西口広場へも足を運んでいくつか曲を覚えて帰りました.(親にはもちろん内緒です。)

そんじょそこらの不良なんてレベルでない反体制の人間です。

暴走族?お前ら、警察に追いかけ回されてるだけだろ!こちらは機動隊とぶつかってきたんだ。まだジュラルミンの板でなかった当時です。殴られたらめちゃくちゃ痛いです。両親とも気づいていたかな?二人とももういないから時効ですね。

本の中で学んだのではなく、その場にいた強みはあると思います。

それがまたなぜに教育公務員になってしまったか。

それがまた、今、こうして教壇に立てているのが楽しいか。正直この仕事も終わりが来たら、もう仕事は辞めます。生活は苦しくなるけど、元教師としてキャリアを残せる。

そうなって来ると、次の目標もできてきました。

ただ、高等学校3年間で学習が終わらないことは明白だと思います。中高一貫というのも一つのながれです。高校受験を挟むことで学習が一時中断されるのは、やはり痛いと思います。