修学旅行 京都自由行動が嫌い

私は京都という町は嫌いではない。

実施担当者がどういうコンセプトで京都自由行動を選んでいるかが知りたい。確かに京都には教科書に載っているような名所旧跡が集まっている。しかし、いったいこの寺社はいつ頃のものか考えていくと、今の京都の市街地は鴨川に寄っていませんか?なぜそうなのだろう。京都の事前学習というといきなり平安京の地図を持ち出してくる社会科教師が多いが、平安京当時のもので今も残っているものを探すとなると大変なことになる。京都はたびたびの大火に見舞われている。そして戦乱。なぜ御所が今の位置まで移動して来たのだろう。京都名物に豆腐料理がある。豆腐と水の関係。御所と水の関係はある意味繋がっているのである。京都盆地の地下構造に踏み込んでいるのだろうか?京都料理の背景の京都野菜の栽培はどうなっているのか?そしてそれが食卓に並ぶにあたって錦市場などの流通。そういう前提なしにただ有名寺院のチェックポイントめぐり。単なるオリエンテーリングではないか。そうなってしまうと事前学習も何もない。

生徒たちの行動計画表をみると、「どこでもドアがあるのか!」というものもあって、一々チェック作業をしながら、矛盾を感じていた。

「いやぁ、京都駅でさよならしたら、チェックポイントに立っているだけ」生徒たちはただお土産屋巡りをしているのが実態なのだ。

私にはこれは教師側の手抜きにしか見えない。

きちんとしたテーマを感じない。きっと生徒たちもここから何を学んだか、まとめられないのがほとんどだと思う。

学年によっては2年生で学年全体でおばんざい作りに取り組んだ学年もあった、ある意味で今の京都の日常生活の学びというテーマが入ってくる学年もあった。 そして、それが錦市場の京都の庶民の食卓に上がるようなものが探してみると面白いですね。でもとても稀有なケースです。京都の土産というと八ツ橋とか油取り紙とか当たり前のものしか浮かんでこないような事前学習でいいのだろうか。多くは教師側に京都についての事前学習が十分に行われていないものが大部分である。少なくとも京都オリエンテーリング修学旅行にどれだけの意義があるのだろう。そういう意味で安易な修学旅行の企画について最初の段階から担当者は良く錬ってほしいものである。まして生徒指導困難校においては担当者としては、逆に神経を使う修学旅行になってしまうと私は思う。実際、私はそういう修学旅行に直面した。転任して来た時にはすでに手がつけられないことが多い。

うまく担当者間の引き継ぎができていない。

日吉台の最初の学年がまさにそうだった。先の見通しなくトラブルが続く結果になってしまった。

私が学年全体を把握する前に話がもう進んでいたのが実態であり、管理職から叱責ヲ受けるのは私だった。不慮の事故で学年主任になってしまったことでまったく準備ができていなかった。しかも、学校団体を初めて受け入れる宿舎。話がまったく噛み合わないまま本番になってしまった。悔いの残る結果になってしまった。ちょうど管理職が入れ替わり、問題行動の予想される生徒を私に預ける形で一般生徒の安全を守る、という判断をされた。それまでの顛末を抜きにして責任を取らせれた。

生徒が深夜移動するルートについて、下見で把握していた私は他の先生方が一部屋ずつ点検されている時、大浴場の窓の外に立って彼らの動きをみていあ。深夜、寝静まったはずの一部屋に灯りが灯っている。そこの部屋の鍵を開けると、男女入り乱れた様があった。静かにロビーに移動させ、深夜の家庭連絡。私の携帯に学年生徒全員の家庭の電話番号があった。結局、そういうことが修学旅行の思い出になっていないのではないか.

 

彼らが20歳を越えて学年全体の同窓会が開かれた。私は全員にビールを注ぎながら談笑した。しかし、一人欠席がいた。私のクラスの学年一の問題を抱えた生徒が一足早く私の元を訪れていた。大工という仕事に就いて働いていて、ある日、新幹線に載って京都に行った。当時は私に引率され、嫌々、歩かされた金閣へ行って、その凄さを私にとうとうと語ってくれていた。

そういう意味では当たり前のコースを歩いたことは意味があったと思う。

たまたま、金箔がどのように貼られていたか?なぜか覚えていたようだ。イタズラばかりしていたが、ちょっと興味を引く話から広がることもあると思う。