彼らは大学に入ってなにを学ぶのだろう

私の高等学校での非常勤講師としての授業の中には帝国主義の項目のなかで「文化心理学」に触れるなど少しでも教科書から外れようなら強く反発する生徒がいた。彼の眼中には目の前のより良い「評価」が有線であり、それ以外の話は聞かなくもない。とにかく「大学」というものに進学できれば目標だった達成と考えているように私には見えた。こうした価値観は家庭の影響も多いだろうが、学校の姿勢にも問題はないだろうか。まずそういう生徒を育て上げてきてしまった親の今日行くがどう出会ったのか、実はそこからそういう価値観何生まれているのではないか。

私は高等学校の非常勤さんをするまで清掃の仕事をしていた。どんなにパリッとしたスーツで決めたビジネスマンたちマンション内は綺麗に掃除されている。しかし、一歩、ゴミ倉庫に入ろうものなら、考えられない世界が待っていた。「分別」を護らないのは序の口。ビニール傘を開けて仲をいちいち分別し直す作業がまったくいた。清掃車の収集の時間までにそれを終わらなければならない。ビニール袋の中には常識として考えられないものもあった。万が一、そのまま清掃車に出していたら清掃員の方が大怪我しかねないようなものである。ダンボールも積み重ねるだけなのでダンボールを一つ作り直したその中へ新たいく作業になら。特に月曜日の戦場である。「良い大学」を卒業して「良い会社」に就職して、外目には「スマートなビジネスマン」てあっても中身は「お子ちゃま」なのである。

私は一度クラスの清掃当番をやめたことがある。初日は私一人で教室の清掃をした。それから何人か手伝うようになった。何年か後に年賀状の中でこんな告白をした生徒何あった「先生のやろうとしていた意味がやっとわかりました。私の部活動の顧問は厳しくて部活動に遅れられなかったのです。ごめんなさい」と、ありました。

この実践について先輩の先生から「観念的」な教育であって、むしろ一度も清掃をしないで何にも感じないで1年間過ごして「得した」生徒を生み出しただけ、と非難された。

しかし、私の考えは「自分の教室は自分から清掃する」ことを理解してほしいと考えた実践です。周囲からは理解されなかったです。しかし、「当番だからやらされる」という考え方に疑問があったからです。実生活では自分がやらなければいけないことなのです。そういうことに気がついてほしかったと思います。