勉強するって何だろう?

私の妻は私と同じ大学で特待生、卒業の時は総長賞を叙され。金時計を持っている。大変に親孝行な娘であったと思う。義父はとてもそれが誇らしげにしていたし、私が母方の実家に行くと、そういうステータスに目がない叔父や叔母から見ると光り輝く存在だったようだ。それに引き換え家が貧困だったが故、奨学金をもらっていた私はともすれば教授と正面衝突していて、必修科目で不可をつけられてレポート提出の憂き目に会うし、調査で千葉に行った。、と親戚が聞けば「三里塚」に行ったんじゃないかと、全く信用置けない存在。しかも、仕事もあまりにも抱えすぎた挙句、早期退職、障害者認定ととんでもない人生を歩んでしまったな、と思います。しかし、たくさんの出会いもあったし、こうして苦しい境遇でもなんだかんだと支えてもらえている。今、妻は淋しい、淋しい….と訪問看護師さんや生活支援センターからの職員にやっと話せるようになった。夕食時、私と娘、息子が話で盛り上がっていても話題に入っていけず、硬い表情になってしまう。

私にはいい成績を取ることはできない。事務仕事も苦手、金銭感覚も杜撰。欠点は上げれば数えきれない。ただ、今の家の中で楽しい会話を交わしている。この差は何から生まれたのだろう。

高校の非常勤講師をしている時、教員生活で初めて「辞職して下さい」という言葉をぶつけられた。手を焼いた生徒たちはたくさんいた。しかし、こういう表現をする生徒に出会ったことはなかった。

この史実の裏側にあるものは「評価」だと思う。つまり猫を被っていながら、私が「評価」する立場で亡くなった途端にこうしたことが行われたわけだ。

今の学生たちがどれだけ「評価」という言葉で動いているいるのかよくわかるエピソードだと思う。

私の高校時代はまさに再春を謳歌していた。

日本史の教科担任とのやりとりは楽しかった。あゝじゃない、こうじゃないと議論をふっかけていた。正直言って高校の非常勤講師のお話をいただいて、そんな光景を楽しみにしていたのだ。期待は裏切られた。ひたすらプロジェクターのスライドを写していく作業が続く、それどころか、スライドが醜い、と「正解」をGoogle class roomで送ってくれ!と始まった。歴史に「正解」などあるわけない。が私の持論だが、あいにく定期テストマークシートで70展、残りも単純な人名や用語を記載させるのみ。

彼らが「正解」を求める理由はここにある。レポート課題を出されて右往左往。これから社会に出て必要な能力がこれで育てられるのだろうか?

確かに「いい成績」をとることは大変なことだと思うが。

現に精神的危機に私は陥ってはいる。それでもこうしてブログを書いたり、LINEを送ったり、ピアノを練習したり、カラオケで何曲も歌ったり。堪えている。まだ、マシなのだろう。