誰のためにblogは書いているのか?

他でもない自分への手紙です。たぶん自分自身の終わりがきた時、自分で読み返すものです。だから自分を偽って書けません。特に精神障害を患い、そこから這い上がる部分は「経験した者にしかわからない」という切り捨てをされたくない。そこも大切な自分のパーソナリティを、形成するもので、部分を含めて、自分です。読んでいて辛くなるのも当然です。そういう意味では経験も何もない世界です。すべての人へ理解してくれと思ってはいけないのでしょうか。それでも何人かの人からスタンプをいただいております。それでいいです。少なくとも教え子たちには知っていてもらえれば嬉しいです。君たちの知っている金剛地からどういう経験を通して人間は変わっていくのか。見ていて欲しいのです。そういう人間の一生を見ていて欲しいのです。確かに読むだけで辛くなってしまうこともあると思います。私だってこういう生涯を送っていることは想像もつきませんでした。本当に「まさか、まさか」の連続でした。だからこそきちんと偽りなく書き残したいのです。

浜中の教え子絡まればまさか、県大会準優勝の日が転落の始まりだったとは思わないでしょう。

ただ田奈の時にはほぼ「廃人」でした。それでも田奈の教え子は「先生の授業はとても丁寧だったから覚えていました」と言ってくれます。もしも、彼に浜中時代の授業ができていたらどういう感想を持ってくれただろうと思います。

先日、村山が「先生の授業には熱烈なファンとそうでない生徒たちもいたようですよ」ととても正直に言ってくれました。確かに万人受けする授業ではなかったとは思います。でもその時の精一杯の授業をした自負があります。

3年の公民で「婚姻届」の授業をやっていながら、実生活では深夜区役所で「離婚届」をもらって来なければならなかった時の悔しさ。しかし、現実として「離婚届」と「委任状」を並べてどちらを書くんだ。と迫らなければ、先に進まなかった非常事態。そういうことを5ヶ月間にわたって動き続けて区役所の障害支援課の地区担当の方からもう十分頑張ったから、少しは休みなさい。と言われても家計を守っていくために就職活動を始めざるをえなかった。6ヶ月の再就職活動で心を再びズタズタにされる思いをした。どれだけ自分を傷つけなければいけないか?自問自答する日々だ。今でも毎日、銀行や郵便局のアプリでお金の動きを毎日チェックしなければいけない。たぶん最後の日まで。

「破滅型」の人生なのだろう。

 

明日からケアプラザの合唱の集まりに参加する。