60才代の死亡記事

今朝の朝刊は鳥山明さんの死亡記事、今、ネットで見たらちびまる子ちゃんの声優TARAKOさんの死亡記事が出ていた。私もブログを書くキッカケになった同級生の死があります。ちょうどコロナ禍の時期だったのでクラスから二人だけ代表で出席してもらいクラスのLINEで報告してくれました。それでも彼はガンのステージ4から食事療法、運動療法でガンが一度は消えました。しかし、闘病生活で思っていたより体力を使い果たしてしまったのでしょうね。ただ彼の闘病日誌が一冊の本として出版されました。

自分もお世話になった人たちや一緒に頑張った教え子たちを忘れないように記録していこう。と思いました。途中から路線がいろいろと曲がって入るのですが、一つ一つが大切な時だと思います。

60才代の死亡は早いかな?同窓会で集まると、次の人生どうしようか?なんて話題になります。

一方で私などは日々の暮らしでいっぱいいっぱいで死ぬに死ねない状況ですね。

もとに戻って鳥山明さんのドラゴンボールの中に天下一武闘会天津飯の放った気功砲を悟空が避けて遠くでそれが爆発する、その時に「キノコ雲」を描いた部分があり、「日本は唯一の被爆国」でそういう表現はまずいなと思ってました。社会科教師は変な所へ目が入ってしまいます。そうはいうものの、最初のシリーズは全巻読んでます。

そういう代表作を残せるのは羨ましいですね。

そういう意味では目一杯頑張った浜中、日吉台の生徒は忘れられい。また、南が丘Bチームもよかったです。あざみ野のチビチームも良かった。

リハビリ中のさまざま活動も大切な私のページです。順風満帆じゃなかったからこその思い出がいっぱいですね。末吉の準優勝はただ勝つこと一点の日々だったので辛いばかりでした。関東大会を団体で歩くことができたことは良かったですが、本当に綱渡りの日々でした。とても嫌な私の一面が凝縮された一年でした。勝つために手段を選ばないなんて。

浜中で何度も跳ね返さらていた時の方がずっと充実してました。もちろん勝ちたいから頑張っていました。だけど正面からぶつかってくれたと思っています。このLINEに入れてもらえたキッカケも腎臓専門のクリニックで人工透析手術の宣告をされていたことでした。それからこうして何年、手術に至らず、そして家族の危機でやっと父親らしいことをさせてもらっています。

しかも短い時間でしたが、教壇にも復帰できた。

いろいろと苦しいなりに幸運にも恵まれたのですね。だけどまだ安心するところまで来ていません。 まだまだ頑張らないといけないかな?