ごめんなさい

先日、純子と由佳が来てくれた.もう前の日からずっとドキドキしていた。何を話そうか。何を聞こうか、何もまとまらなかった。待ち合わせのファミレスで二人の手を振ってるが見えた。私もこっちだよと合図した。遠くまで来てもらったお礼をして、そこから、込み上げてくるものがあった。「ごめんなさい」だつた。、中学1年生のこの二人を見て、自分が勝負するのはこの子たちしかいない。そう思った。本当にこの子たちは先輩に恵まれた。3年生の好美たちはまさに関東大会を賭けて全力で戦っている最中だった。しかし、この後輩たちを本当に柔らかく優しく迎えてくれた。まったく運動部経験のない由佳は最初の練習日、体育館から好美たちに手を振って帰っていた.好美もニコニコしていた。純子もシャツを短パンに入れなきゃ、としていたら、実紀が練習中はそんなダサい格好しなくていいよ。試合の時、きちんとしていればいいんだから、と言われた話を打ち明けてくれた。浜中バドミントン部の雰囲気はそんなふうだった。それは好美たちのさらに前の代も、そのまた前もそんな雰囲気だった。

しかし、試合になれば好美たちは一点を争う試合を何度も繰り広げ、女子団体は3位決定戦まで進み、僅差で敗れたが、シングルスの明子が磯子区では初めて関東大会進出をした。男子もシングルスの川島を軸に県大会を勝ち上がり旭陵中をすんでのところまで追い込んだ。第二ダブルスの村山は生徒会長をやりなごら、7時までのギリギリの時間に体育館に飛び込んできて「5分でいいですから、打たせて下さい」男女ともそういうチームだった。私は6時までは特別活動指導部長の顔、6時からは体育館で声を張り上げ続けていた.

しかし、明子が関東大会で個人戦が始まる時、控室で対戦相手の国府中の大橋がプログラムを見て一言「浜中、知らない」。そして、あっけなく明子は負けてしまった。翌朝、神奈川オープンで戦った群馬の邑楽中に出会った。「えっ、浜中の団体、あんなに強かったのにててないの?」と言われた。

関東大会の翌日から猛練習が始まった。フットワークに次ぐフットワーク練習。足から鍛え上げるのが、私の流儀。体育館の舞台のカーテンの向こう側で練習していた演劇部が、その地響きと声にたまらず、グラウンドへ避難した。とにかく私は大橋の言葉が頭を離れず、その怒りを1年生たちにぶつけていた。浜中の尾瀬合宿の最終日、1年と3年が二つに分かれて紅白戦を行った。シングルス戦で好美と1年の山口が互角の試合をしていた。私はすげえ!と思った。平塚でのオープン戦で美しが丘中の林先生から声をかけていただいた。浜中の一年と大清水の一年に美しが丘に来てくれないか。美しが丘中の2年が翌年の夏に勝負をかけていた。そこでぜひこの二校とやっておきたい。ということだった。こちらとしては願ったり叶ったりだった。そこから県の強化の場面でも浜中バドミントン部は頭角を表せていった。

冬にはヨネックスを通して国府中との練習試合が実現した。県の強化練習会でも上級生に負けず、頑張っていた.

次の夏は南が丘に負けてしまった。しかし、新人の大会で決勝は浜中決戦。横浜の顧問の中にはそこで意気消沈してしまう顧問もいた。

しかし、アクシデントがおそった。県の試合の「、直前由美が出られなくなっていた。私はその兆候をつかんでいなかった。いち早く情報を手に入れていた善行の先生が「浜中、危ない」と予言した。まさにその通りだった。いつもなら下の学年からそこに変わる力が出てきていたのに、見当たらない。

2何の夏以降も私の姿勢はストイックなままだった。しかし、中学生にそれを要求し続けたことは本当に良かったのだろうか.由佳が高校へ行ってゆるいぶかつで笑って練習してるのを見て驚いた。と言っていた。私の緊張感は3年夏の大会まで続くように見えた.

ところが今度は、やんちゃな年頃のS君のちょっとしたことに感情あり的になって思わず体罰を振るい、保護者の反発を招き、管理職、生徒指導専任、学年主任などへ大変な思いをさせてしまった。ここら辺で私の歯車が狂い出した。生徒を導いていく方向を見いだせなくなっていた.管理職はバドミントン母のベテランの内田先生を浜中へ呼んでいただいた。そこでじっくりこれからのことをお話し立てていれば良かったものを私の暴走はさらに加速してしまった。その間、内田先生に苦心をさせ続けてしまった。

暴走は結局、一番大切であるはずの夏の大会まで続いてしまった。

今でも取り返しのつかないことをしてしまっていた。

先日、二人の顔を見て、本当に申し訳なくて、申し訳なくて、ただそれだけで二人だけでなくあの学年のバドミントン部全員に私は土下座でもして謝らなくてはいけない。それでもsachikoが私はバドミントンが好きだから、と言ってもらって、とうていそう言ってもらえる資格なんか私にはないと思ってる。

大切な生徒も傷つけ、顧問として最低でした。

プロ野球の野村監督がキャンプ初日のミーティングて「人として」という話をして、そこから野球の話へ進んでいく話を聞きました。

今日たまたまYouTubeを見ていてPL学園のKKコンビの3年間の苦悩の物語を見ていて、私はあまりにも目先のことばかり考えていた自分に今、打ちのめされています。

本当に時計を巻き戻せるなら、一からやり直せれば、どんなに良かったか。

本当にごめんなさい。