辞職してください

Google class roomに書き込まれた言葉のショックから抜け出せない。何が原因なのか?自分の授業にそんなことを書かれる謂れを私は理解できない。むしろ、穴埋めプリントをやらせてその解説をすれば良しとする教師陣のあり方に私は強い疑問を感じている。理系はともかく、歴史という学問はさまざまな価値観があり、自分なりに取捨選択して自分の歴史観を育てていくものだと思う。しかし.現実は「答え」ばかり求められた。

違う!「正解」なんて。一つの発見や新しい考えの発表でいくらでも変わる。

浜中当時、飛鳥修学旅行を企画した。生徒はなんでこんな田んぼの中を歩かされるのだろう.と、感じていた生徒もいただろうが、現在、当時から比べればずいぶんたくさんの発掘調査が行われて「飛鳥時代」の解釈も大変に変わってきている。現在.その企画を立てた私の意図に気がついている教え子はいるだろうか。

しかし、それが本当の歴史学習ではないのか、と思います。

そういう考え方をしている私からみればただひたすらプリントに向かう生徒の姿に違和感を感じざるを得ない.大学へ行くのは何のためになのだろうか?まさか大学でもプリント学習があるとでも思っているのだろうか?卒業論文を書けるのだろうか?

「辞職してください」書いた生徒の生育歴、学習歴はどんなものだろうか?私にはそれを書いた生徒がモンスターにしか思えない。

そしてそういう生徒を育ててきた家庭、小中学校での学習が想像できない。

そういう意味で「評価」こだわる高等学校側の姿ってなんだろう。

とにかく多くのAO入試枠.推薦入試枠を確保し、進学実績を、上げることが学校の目的となってあるように私には見えた。一般入試の生徒への配慮が感じられない。

また.文化史をバッサリ切ってしまった教育課程。歴史教育は地理学はもちろん、他の地学や生物学、心理学などと相互に乗り入れていく総合的な学問である。教師側の学問的な視野の狭さを感じざるを得ない。そういう芸術的素養を感じないひたすら、あの山川出版の教科書の範囲から一歩もはみ出ない教師たち。きっとそういう教育を教育をされて育てられてきた教師たちではないのか?

もっと中学校、高等学校の歴史教育のお互いに何にどう向き合っていくのか、総合的に考える必要があるとおもう。は

とにかく私は今も混乱している。それこそ、教員人生がすべて否定された。と言っていいくらいのショックを受けたままになっている。

立ち直れない。