それは逆差別だ

私のリハビリ中の忘れられないエピソードです。

私はデイケアに通所して、リハビリを続けていました。その中のプログラムでお互いな気に入った本を

持ち寄り感想を述べる時間がありました。

ある日、最年少の青年が一つの漫画を紹介しました。耳の聞こえない女の子が転入してきました。その子はスケッチブックてコミュケーションを図っていました。担任は面倒な子を押し付けられた、という顔でえがかれてました。クラスにとって最大の行事である合唱コンクールが開かれることになりました。担任から丸投げされた音楽科の教師は女の子に合唱コンクールに参加したいかどうか訊ねました。女の子は「出たい」と言いました。しかし、耳が聞こえない女の子は自分の自分の発声を確かめることはできず、まわりのせ生徒からは「雑音」扱いされてしまうのです。そして、音楽科の教師は審査員の方に、どうか公平に審査してください。と訴えることが精一杯でした。

しかし、合唱コンクールは惨敗。そこから女の子へのいじめが始まった。女の子のスケッチブックは水の中へ投げ入れられてしまいます。

あまりにもステレオタイプな教師の描き方だとおもいます。

私はかつて特殊学級のたんにんとして、自閉症で言葉のない子と3年間過ごしました。ダウン症の女の子が入級してきた時、その女の子はまだ生理がきていませんが、間も無くくる生理への対応に頭を抱えました。

そして、障害を持った生徒を担任することになりました。学年主任から、金剛地さん頼むよ言われて、預かりました。

この漫画のケースはさらに困難なケースであり、押し付けられて面倒だな、という担任は私からは信じられません。

私のケースでは横浜散歩では、私から見て一番信頼のおける生徒の班へお願いしました。障害そのものについての説明はプライペートの部分に関わるので、先入観を与えないようにしてました。一日、横浜散歩は無事に終わりました。私はワゴン車です巡回しながら、急に対応できるようにしていました。

また、学級発表で蓼科山の立体模型の作成でした。そこで私は本人の発達段階を配慮した部分の担当にしました。合唱コンクールでもありがたいことに男子が団結していて、しっかりカバーしていたしました。この生徒はさらに2年生でも担任しましたが、男子たちの団結呂が強く、よくカバーするだけでなくクラスが優勝し、一緒に喜びの輪に入ることができました。

しかし、この漫画のケースは深刻であり、担任は責任持って女の子に寄り添うのが担任だとおもいます。それでも本人の意思が、「参加」と出されると、担任としてはクラスに厳しい選択を迫らなければなりません。優勝はできない可能性をきちんとクラスに告げないといけないと思います。そこを担任として、真剣に選択を迫らなければいけないと思います。そして、「手話合唱」の提案をします。正直、「手話合唱」を生徒に理解させることが必要になります。

現在では、YouTube上で各学校での手話合唱の実践が見られます。

 

しかし、「逆差別だ」と叫んだ方は短期の通所の方で、この事件以降、まもなく「卒業」してしまいましたが、学校教育の場での教師たちの悩みは一般社会人の、意識はこういうものなのだろと、私は思いました。