過ぎたるもの

石田三成に過ぎたるものがふたつあり、島の左近と、佐和山の城」

私には過ぎたる生徒はKさんです。生徒会長として活躍していました。私は生徒会担当として、生徒会室で何度も言い合いしました。歯に絹を着せず、自分の思いを言ってきます。よく、叱られました。一方、頼りになる生徒だと私は信頼していました。そういう生徒が私はぜひ、自分のクラスに欲しい生徒でした。3年生のクラスに香津が入りました。

ただKさんに申し訳ないことがありました。合唱コンクールで2年生で初優勝した私は意気込んでいました。初優勝の自由曲は「大地讃頌」でした。私はそこでクラスに「組曲筑後川より『河口』」を提案しました。大変な賭けでした。香津が伴奏でしたが、とても苦労させてしまいました。私も「河口」を完全に理解できていなかったと思います。

富士見丘高校で練習に伺った時、顧問の先生から香津の話がでました。、

本当に私には過ぎたる生徒でした。

kさんとは卒業後も年賀状の行き来をしていました。

去年の年賀状に私の異変に気づき、連絡をとってきて「先生、このままじゃ家庭崩壊してしまうよ」と次々アドバイスや資料を送ってきて私を支援してくれました。

 

もう一つの私に過ぎたるものは後で書きたいとおももいます。