運動神経なんて関係ない

立田の後、女子バドミントン部に入ってきたのは真澄、倉崎、加藤、恵美たちでした。立田たちと違って、それほど運動神経に恵まれていませんでした。(ごめん)  特に真澄に至ってはフットワーク練習をするとあおむけにひっくり返ってしまいます。しかし、いつもニコニコしながらきちんと練習をしていました。男子も五十嵐、関口がチームをひっぱってくれていました。五十嵐は大変に真面目に練習に取り組んでいたのですが、レシーブの時、半身になって構えてしまいます。関口は明るく前向きに練習していました.この代は北茨城で合宿しました。この時、私は下見で致命的なミスをしてました。枕が蕎麦殻だったことを事前に確認していませんでした。倉崎は蕎麦アレルギーを持っていて、私は倉崎がこの合宿に参加したかどうか記憶をしていないのですが、もし、参加していたら、大変なことになったと思う時ゾッとしました。

倉崎、加藤のダブルスは二人ともベタ足でした。倉崎はとても気が強く、すぐ気が弱くなってしまう加藤をいつもカバーしてました。

真澄はよく努力していました。そんな中で真澄が非常にスピードのある選手であることにきがつきました。他の学校の顧問の先生もそう評価していました。

とにかく部員が少ない中で私は真澄を酷使してしまったかもしれません。夏の大会の直前に足の十字靭帯を痛めて、夏の大会で本来のスピードが出ない状態でした。しかも、団体戦の一回戦の相手の原中のシングルス武井は実はかなりの実力を秘めていることがわかりました。本来は第二ダブルスに好美と実紀がいます。普通にオーダーを出せば2対1で勝てた試合でした。しかし、真澄と武井がぶつかれば、きっと真澄はコートスレスレまで粘ってシャトルを拾おうとしえしまいます。わたしの思いは真澄をここで壊してはいけない。ということになりました。倉崎、加藤は原中の第一ダブルスに勝ちました。しかし、私は真澄に変えて、好美をシングルスにしていました。結果は武井には好美は勝てませんでした.1対1第二ダブルス勝負です。ここに真澄をいれました。真澄との実紀でダブルス練習したことがありません。レギュラー陣には入らなかった恵美を組ませました。真澄も恵美も一生懸命に試合しました。試合は負けてしまいました。敗戦の責任はわたしです。抽選会で浜中の女子団体シードにを推していただいた先生方を裏切ってしまいました。その他、男子団体、個人、女子シングルスがシードしていただいたのに、次々と破れ、強化部長の平木先生からは「もう来年は浜中はシードしない」と言われてしまいました。その中でうまくシードを食って勝ち上がったのは倉崎、加藤でした。倉崎は次の対戦相手の審判用紙を覗き込んで、勝てる、と、確認して、次の試合へ進んでいき、県大会へ出場することになりました。県大会でも活躍して、もう一歩で関東大会と、いうところまで練習次第で長所もみめて長所が見えてくるし、結果はともかく、精一杯頑張ってくれたかとに進みました。真澄は県大会の、前に倉崎、加藤と磯子スポーツセンターで、最後の練習をしました。

しかし、この生徒たちから運動神経に、関わりなく、精一杯戦ってくれました。

その後、五十嵐、関口は好美と実紀と何度もしあいをしてくれました。ところが好美と実紀にどうしても勝てないのです。関口はライバル校のトップを連れてきて、試合をしましたが、また、好美と実紀が勝ってしまいました。これをきっかけに好美と実紀がどの程度の実力なのか、まず、関東大会の経験を持っている西本郷中の設楽先生に練習試合をお願いしました。そこから、さらに南が丘中を紹介していただいて、長い1年間が始まりました。

それから、加藤がとでも素敵なプレゼントを、してくれました。自動車のディーラーのセールスマンを紹介してくれて、ワゴン車を、手に入れました。これで交通費を気にせず、遠征が行えるようになりました。

私の車に2年生たちが乗って、横横道路で入って行きました。私はカセットテープで音楽をかけました。その時に何の曲がかかっていたのか、覚えてなかったことが、後でわかりました。

ZARD「負けないで」でした。

そして、真澄も最高のプレゼントをしてくれました。妹の由佳を、私に紹介してくれたのです。