立田

バドミントン部女子は才能ある人材がどんどん集まってきました.遠く大和市の荻野中が来てくれました。それぞれ気が強く、競争意識がつよく、荻野中の先生も来て良かったと言って帰りました。ところがその才能溢れる女子生徒たちはどんどん出てこなくなりました.最後まで残ったのは立田ひとりでした。

同じ学年に男子では狭間がいました。1年から上の学年の名川と互角の試合ができるまで育ってました。そのころ、神奈川No. 1プレーヤーは野庭中の宍戸でした。近くの学校でありながら、顧問の日達先生となかなか連絡が繋がらず、やっとつながって、来てもらうことになりました。

狭間の才能が高いレベルにあることを確認できました。

たった一人になってしまった立田は地道に練習していました.ちょっとおてんばで愛嬌のある生徒でした.自分の学年がたった一人だったので下級生にもあまり先輩面をしませんでした。私も大好きな生徒でしたが、よくこづきました。狭間がどちらかというと完璧な生徒だったので、対照的な練習ぶりでした。

しかし、狭間はある程度、各チームからマークされながら、冬の大会で上位に入り、県合宿にえらばらました。そして、立田が県大会上位に入り、県合宿に参加することになりました。しかし、狭間も、立田もたった一人の戦いでした。しかし、もしも、この二人が浜中バドミントン部を繋いで行ってくれたことが、次の世代のバドミントン部を、繋いでくれました