生きる力をくれた母 1

母と父はもともと知り合いだった。

祖父が父に課した条件は月給1万円になったら、迎えに来い。父は月給1万円をもらえると、すぐに、鹿沼に向かった。その晩は父と祖父は一晩潰れるま、酒を飲んだ。

しかし、母を迎えていたのは祖母の嫁いびり。また、自分よりずっと年上の義理の弟、同い年の義理の妹。そして、寝たきりな曽祖母の介護。祖母は家事から離れると、旅行三昧の暮らしだった。

母は優秀だったが、家が貧しく、幼い弟、妹の世話におわれた。また、祖父の酒癖が悪く。苦労していたが、家族の仲は良かった。弟たちが働けるようになると弟たちの面倒は父の理解もあり、よく見ていた。

私の幼馴染がピアノを習っているのを羨ましく思っているのがわかるとオルガンを買ってピアノの、先生を見つけて来てくれた。高校受験を前に私が深夜放送にうつつを抜かしていても、別に怒られなかった。それどころかテレビで「ミュンヘンへの道」を熱心な私が見ていたので母も熱心にバレーボールの中継を見ていた。すると、準決勝の中継を見ていた母が急いで2階に上がって来た。「敏雄、大変だ。全日本が負けてる。そこから母と一晩二人で全日本の応援だった。

そんな母がいきなり余命三ヶ月と告げられた.