バーンアウト

ふと、気がつくと、日吉台までの記憶は鮮明だけど、末吉以降がおもいだしたくない。もう封印してしまいたい日々へ転換してしまった。南が丘で学年主任の前田先生からいろいろ声をかけていただいていたのに素直に受け止められなかった。その頃から週に一回のペースでメンタルの治療に通い始めた。末吉の関東大会以降の記憶がない。むしろ消し去りたい。今考えると、教師であることから新しい道へ模索するべきだった。いろんなしがらみがあって許されない状況にはあったのだけど、今、考えると教師として給料をもらえない。そんな感じで新しい自分の模索をするべきだった。どんな道があったのかはわからないけれど、すでに教師でなくなっていた。さまざまな先生たちからフォローをされていたけれど心の中へはきっていかなかった。すでに双極性障害を発症していた。と思います。身体そのものも異変を示していた。鶴見の田中治療院てサーモスタットで映し出された自分は血の気が引いていた。運転中に意識を失ったのもその頃だ。いろんな異変が私に起こっていた。もっときちんとしたメンタルの治療を受けるべきだった。しっかり心を休めるべきだった。走りすぎていた。南が丘の歓送迎会での思い出したくもない仕打ち。それもしょうがない自分だったかもしれない。

末吉を県大会優勝させなければいけない。というプレッシャーに押しつぶされた。それ以降は何も覚えていない。それが私の教師人生を破滅させた。