文法、嫌い!

大河ドラマ「光る君へ」で高畑充希さんが「枕草子」を朗読する場面。こんな素敵な声で古典文学を聞けば、もっと古典文学にも興味が湧いたことだろう。古典そのものを味わいたいのに、国語の教師はすぐ文法問題で差をつけたがる。これは英語にも言える。ビートルズカーペンターズを聞いていれば素直に楽しめるものをわざわざ文法で差をつけようとする。何のための「評価」なのだ。なぜ。素直に楽しませる授業やテストができないのだろうか?

生徒の差をつけることがそんなに大切なのか?

確かに自分の授業も万人受けするものであったと思う。教科教育の入り口である中学校教育の役割はとても大切だと思う。私の場合は実用性を考えた授業作りに心がけていた。すでに「教えない授業」に先駆けていた部分は進学が頭にチラチラしている生徒からは「わかりづらい」になるだろう。

私に言わせれば進学したければ進学しなさい。だけど、あなた方の年頃にこそ叩き込んでおきたいことはたくさんある。

瑣末なところで差をつけられ、教科の楽しみを奪っていいものだろうか?

基本的に入試問題の作成者の感性が問われると思う。「優秀な生徒」が人生でいったん、

つまづいた時にどうなるのか、「楽しい」ものを「楽しい」と言える人生ならば、いろいろと辛いことも乗り越えていこうと思える。

たまたま「光る君へ」の中で紀貫之の名前が出てきた。偶然だが、私は紀貫之の直系の子孫を教えるめぐりあいがあった。冒頭の文句がサラサラと出てくる。まさにそこには平安貴族の姿を見ることができた。仮名文字文学の始まりが見えた。

正直にいうと女房文字は読めない。ただ紙質や墨などからいろいろな想像ができる。