就職活動の再開

妻が精神障害を発症して以降、はじめて家庭へ振り向いて驚くことばかりだった。私自身が精神障害を発症して退職して,退職金を銀行へ定期預金にしようとして銀行を訪れると応接室へ通されて、そこに並んでいたのは定期預金の案内ではなく、国債のパンフレットが並んでいた。待っていたのは銀行系の証券マンだった。言葉巧みにブラジル国債を買うことになった。リオ五輪を前に選手を応援するのもいいだろう。と思っていた。銀行系の証券会社だったので退職金すべてを把握されていて、すらすらと退職金のほぼ全額が注ぎ込まれていた。

ところがリオ五輪を一年前にブラジル国債は暴落して証券はただの紙切れとなってしまった。それでも他の金融機関に預けていた部分は残ったし,障害年金を申請して通ったので、自分の生活はなんとかできる、と思っていた。

2021年1月4日朝、妻が私の枕元で真っ青になっていた。今度は妻のクレジットカードのアカウントを盗まれて預貯金がそっくり出されていた。すぐにクレジットカードを停止した。私自身もリハビリを越えていた。しかし,私の教え子が鋭く「先生、何かあったでしょう。先生はこんな年賀状を送る人じゃない」と連絡してきた。正直に事の次第を話すと「そんなことしていたら家庭崩壊するよ」とつぎつぎと資料やアドバイスを送ってくれた。区役所の生活支援課へ行っても「慎ましく暮らして下さい」というだけだった。

まもなく妻が精神障害を起こして、その対応もしながら、家計について自分が預かってみると、いろいろと見えてきた。妻がそれ以前から二世帯住宅に住む妻の母の介護をしていた。認知症の母の年金や預貯金を預かっていたものを妻は使い込んでいた。すぐに義妹夫婦に来てもらって義母の年金や預貯金の管理、介護をお願いした。

次に妻は子供たちに使いたいだけお金を出して,抱え込んでいた。そこで子供たちの自立の進めるために子供たちの病名を把握して社労士を依頼して障害年金の申請を進めた。

しかし,まだ大きな請求が続いていた。妻名義で子供たちに買って与えたSNSでたくさんの有料サイトを登録して遊んでいた。docomoにこれを止められないかと訪れたが妻名義だったので私には手が出せない。やっと妻に電話口で「はい」と一言言ってもらえれは名義変更しましょう。というところまでこぎつけたが、妻の口から「はい」が出なかった。委任状を持ち帰って、説明しても理解できない。やっとサインしてもらってdocomoで名義変更して,即アプリにロックをかけだ。

同時並行で金剛地家の存続を諦めて「墓終い」の作業も進めた。

役所変更へ赴いても無駄足なることもあったが,障害支援課を窓口することで妻の訪問看護ステーションも見つけてもらった。

障害支援課で相談している時にふと目に留まったのが「都筑区生活支援センター」だった。ともかく飛び込みで相談に行った。やっとそこで一息ついた。家族それぞれに担当がついてケアがお願いできるようになった。

それまでに私の預貯金も底をついてしまった。それまで私の印鑑も通帳も預けたままの時に生活費は私の預貯金から落ちることが当たり前だった。さらに妻名義で私の生命保険が保険料は私の預貯金から落ちる契約されていた。これについても私は手が出せず、妻の一定の回復を待たなければならなかった。

なんとかお金を作ろうと古書店に私の一万冊の蔵書を売っても、たった39万円にしかならなかった。

生活費は生活費のための口座を開き、そこへ家族全員が一定額を出して口座振替先をすべて変更した。

毎月、一定額をならいいのだが、シロアリやネズミの駆除。つい最近い天井にアライグマとハクビシンが巣を作って追い出しや侵入口を塞ぐ工事が入る。子供たちの年金額では負担しきれなくなる。

そういことで、就職活動を始めた。年齢の壁が立ちはだかった。長年に傷つけられた身体は歪んでいて集中力が保てない。ハローワークの障害者枠はとても狭き門である。一度求人サイトに登録しようものなら、山のように求人情報が来るが、ほとんどマッチするものはない。

長年,教育の世界に携わってきたので児童指導員を探したが、送迎の運転ができないことがネックになった。

進学塾や家庭教師も社会科の需要はない。他教科と兼任となると困難になるし,受験勉強を終わったばかりの学生の方が扱いやすい。ある進学塾では社会科の募集で面接を受けに行くと数学と英語の試験をされて「鼻で笑われて」雨の中、悔しくて帰った日もあった。

家へ帰れば求人情報をチェックして応募先に合わせて履歴書・職務経歴書を書き直していた。そして,そのまま徹夜したり寝落ちする日々が「6ヶ月」続いた。今になってみれば「6ヶ月」かもしれないが、その時は先の見えない日々だった。

突然、一本のメールが入った。ZOOMで面接します。ということで送られてきたURLを開いて面接に臨んだ。就職が決まった。住宅展示場の清掃だった。ところがその初日に帰りに着替える時、床に倒れて騒ぎとなり、上司もその日、「仕事中も時折、意識が飛んでいて、お客様からクレームが来ている。チームで仕事をするのは難しいから、別の現場に移ってもらいます」首の皮一枚で残った。思い当たる節があった。やたらとコンクリート壁や鉄柱に頭から突っ込んで倒れる。足が前に出なくて顔から地面にぶつかる。と言った危ない症状があった。すぐに脳神経内科を受診した看護師さんが先に聞き取りをしてもらった時に家計の状況も話すとケアマネさんからも聞き取りをしてもらった。診察室に入るなり、あなたは身体が歪んでいますよ。言われてMRIを撮った。さらに脳に異常がないか精密検査する病院の紹介状を書いてもらって予約もとってもらった。そして訪問マッサージを紹介してもらった。その後、MRIも精密検査も異常は見らなかったが、訪問マッサージで先生がちょっと身体を触れようものなら、痛みに大声をあげるし、先生の指が入っていかないほどだった。

そんな痛みを抱えながら,次の現場を紹介してもらった。一人で小さな高級マンションの清掃作業を行うことになった。

何度も管理室の鍵を室内に落として上司から注意を受けていました。それでもなんとか続けていた時、高等学校の非常勤講師の話がありました

まだ教室で授業ができる。とても嬉しかったです。しかし、始まってみると考えていた世界とは別世界でストレスが溜まりました。片道2時間の通勤も身体に響きました。ブログの中にも不満が積み重なっていました。それでも収入があったことで家計は一息つきました。高等学校の任用期間が切れた後、英輝先生から4日間、仕事を頂けて助かりました。

英輝先生からの勧めもあり、部活動指導員の登録をして新年度、声がかかるのを待ちましたが、声はかかりませんでした。現在は家計が厳しく、なんとか仕事がないものか、探していますが、前回よりさらに苦しい就職活動になるでしょう。

その間、先輩の先生から「あなたは直情的・観念的で今後も話が来ることはない」と言われたり、ブログを読んで「誤字・脱字・変換ミスが多くて日本語になってない」と厳しく指摘されました。

そういう意味で心が傷ついたままになっています。