美味しいお茶をたててみたい

定年後、本当は一部屋に囲炉裏を切って茶室にしたかったのが、いつの間にか食糧庫になっていた。ささやかに茶道教室に通って美味しいお茶を飲みたい。デイサービスでいただくお茶がとても美味しくて、どうやって作っているのか聞いても、よくわかりませんでした。美味しい一服のお茶を楽しめるようになったらどれだけ人生が豊かになれるか?

ずっとそういう趣味の生活に憧れていた。器を愛でて、お茶を楽しめ、美味しいお菓子を頂く.至福の時間を過ごしたい。

すると、陶芸にも目が離せなくなるだろう。知識としてではなく、肌で器を感じる。

まだ我が家にはやることがたくさんあってそんな余裕ができるまで時間はかかるだろうけれどそんな未来を夢見ています。

デイサービスに通ってわかることがいろいろある。定年後の身の振り方。私はこの65歳を一区切りにすることを決心しました。

今の我が家は経済的に苦しみながら毎日を過ごしています。とにかく家族が楽しく暮らせることが一番です。行政との連携を取りつつ進めます。

仕事を終わったことで、収入は厳しくなります。だからこそ明るく過ごせるようにします。正直言って妻はかわいそうなのです。国家公務員として間違いのない仕事をしてきた。美術が好きだった。時を見て、美術館に行って、図版や写真集を買ってくることを楽しみにしていた。しかし、それが今は過去の浪費の証としてしか思えない。自分の過去を振り返えれない。生活支援センターの担当の方とも話して過去の話から離して、未来へどう目を向けるか、模索しています。しかし、新しい道を見つけるのに茨の道を歩みました。それでもなお、昨年の正月から今までの毎日は私の体重を30キロ削り、身体中の筋肉をこわばらせ鍼やマッサージで必死にほぐしている。心も何度も乱れた。離れで一人でマットの上で叫んでいることもあった。椅子から転げ落ちるので新しい椅子にすると、パソコンを打ちながら椅子の上でいつの間にか気を失っていた。

本当に「懲戒処分」の文字は恨めしいですね。横浜市教育委員会は最後まで振り向いてくれなかった。自分で言うのもおかしいかもしれませんが、自分の貢献度を考えた時、この仕打ちは本当にきついです。可もなく不可もなく過ごせばよかったのですか?あの時火中の栗を拾わせた人たちはどうなっているのですか?私の年賀状から異変をキャッチした教え子から立て直しが始まりました。障害支援担当からは私が入院して一度完全に休みなさいと勧められました。本当にきつかった。

津久井浜の生徒たちとのお別れは私の卒業式でした。学年主任の先生が学年会に諮ってもらいました。