ノック

南が丘では最初にいた校長は私にバドミントン部に手を出させませんでした。また、メインの顧問も自分はインターハイにでている。金剛地は関係ない。という態度でした。私は校長に隠れて中体連のバドミントン専門部の事務をしていました。翌年、新しい校長に代わったのを機にバドミントン分顧問に復帰できました。そこで見た練習はメインの顧問がAチームだけ相手をして、それ以降の生徒はすべて一つのコートでただ打ってました。私は副顧問として、その一つのコートに放り出された生徒たちの面倒をみることになりました。男女三学年の生徒は私の指示練習しました.足作り、回内、回外は学年は関係ありません。たとえ上の学年であろうとできなないものはできてないし、下の学年では飲み込みの早い生徒もいます。回内、回外などは中心でヒットしなければ音もしないし、目標にあたりません。ごまかしは効きません。まずはそこから始まります。

 

試合前に華麗なノックを披露される先生がいます。それぞれバドミントンの競技経験をもっています。私のような素人には真似できません。しかし、相手チームのスカウティングができます。こういう狙いで練習しているのだな。と見えてきます。試合前のノックは顧問にとっては一つのショーなのです。

 

日常の練習でも同じことです。どれだけ根気よく基本練習をさせられるか。忍耐力の勝負です。レギュラー陣だけノックを繰り返し、他の部員の面倒を任万が一の場合、スペアができるのでしょうか。南が丘のAチームは常に故障者ばかりでした、その度にBチームから応援を受け、とうとう夏の大会でさえレギュラーが組めず、県大会出場をめぐる大切な試合ファイナルまでも連れ、最後にスマッシュを決めたのはBチームの選手でした。

 

南が丘のAチームの中の3人が時々、南スポーツセンターでノックを受けていました。私も南スポーツセンターへ行きました。別にAチームの練習を見に行ったわけではありません。彼らが練習が終わったあと、日本一のバドミントンのご夫婦が練習にくるのを私は待っていました。明子はしったるかな?杉田夫妻です。中学生の時の明子のプレーを見てぜひ面倒みたいとおっしゃってくれました。そういう関係の中で中学生の選手たちについてお話しさせていただきました。

そんな時、私のクラスにAチームの生徒が日頃の鬱憤を晴しに来ていて話し相手になっていました。Aチームの生徒から見ればいくら練習後にラーメンを奢られても、そういう関係ではなかったということです。

藤沢商業に元世界チャンピオンかコーチに来るという情報を掴むと私の車で世界一のプレーを見ました。また、ヨネックスオープンにも車いっぱいの部員を乗せて見学に行きました。本当はスタンド席でなく、コートサイドでみていると、音がちがうし、そのすぐ後ろでアップしている姿が見えます。

 

大切な素材と巡り合うことは本当に稀なことなのです。あとはあるだけの素材でやりくりするしかないのです。

 

他の顧問から見れば私はとても恵まれました。それだから勝てたんだろう。と思う顧問もたくさんいたと思います。でも渦中にいた浜中の選手たちにとって私はどうだったのだしょう。そうおもいたす。純子や由佳を見て、スラムダンクで言えば流川と桜木を見出した瞬間の安西先生の心境でした。それも女子だけなく、航太、坂下をはじめとするこんなすごいことは二度とありませんでした。

 

そういう意味であざみ野の陰でコソコソしていた連中がいなくなった後、全員150センチに届かない生徒たち。夏の大会でジュニアの指導者がいてどこのジュニアの子ですか?と聞くので中学生から始めた子たちですよ。と答えると、どうしたらこんなきれいなフォームに鳴るのですか?と聞かれてしまいました。2年の冬。私は倒れて集中治療室にいる時、副校長が元バドミントン顧問で関東大会も経験されている先生が引率してくれました。病気が少し良くなって学校へ戻って副校長先生にお礼に伺うと「金剛地さん、あのフラッシュトークはなんだね」と聞かれました。普段から自分たちで考えることを要求してきました。だからワンラリーごと短い言葉で確認し合っていたのです。